每日阅读(6.28):蘇我大臣の屋敷
日本で一番古いという仏像を見たのは、2年前の春だった。奈良県明日香村の飛鳥寺の本尊、釈迦如来の座像で、3メートル近くある。7世紀の初め、女帝の推古天皇が仏師の鞍作鳥(くらつくりのとり)(止利)につくらせたという。
ほん‐ぞん【本尊】:1 寺院などで、礼拝の対象として安置される、最も主要な仏・菩薩(ぼさつ)像。画像・曼荼羅(まんだら)・名号などのこともある。
2 身辺に常に持ち、その守護を祈る小形の仏・菩薩像。守り本尊。
3 (多く「御本尊」の形で)その話題や事件の中心になる人。当人。本人。からかいの気持ちをこめていう。「当の御―だけ話題の外だ」
すいこ‐てんのう〔‐テンワウ〕【推古天皇】:(五五四~六二八)]第三三代天皇。在位五九二~六二八。欽明天皇の第三皇女。名は豊御食炊屋姫(とよみけかしきやひめ)。敏達天皇の皇后となり、崇峻天皇が蘇我馬子(そがのうまこ)に殺されたのちに即位。聖徳太子を摂政として国政を行った。
くらつくり‐の‐とり【鞍作止利・鞍作鳥】:飛鳥時代の仏師。司馬達等(しばたつと)の孫といわれる。飛鳥寺の丈六仏(飛鳥大仏)や法隆寺金堂の釈迦(しやか)三尊像の作者。日本最初の本格的な仏師で、中国の北魏(ほくぎ)様式の流れをくみながら、いっそう洗練された作風は、止利様式とよばれる。止利仏師。生没年未詳。
两年前春天,笔者有幸拜见到日本最古老的佛像。那是位于奈良县明日香村飞鸟寺中的释迦如来座像,高达三公尺。它是7世纪初,女帝推古天皇令佛师鞍作鸟(止利)建造的。
後年火災で焼けた。修復のあとが痛々しい。しかし、一部は当時のままだという顔のあたりをしばらく眺めていると、かすかな笑みの中に古代のおおらかな息吹が感じられた。
おお‐らか〔おほ‐〕【大らか・多らか】:1 心がゆったりとして、こせこせしないさま。おおよう。「気持ちを―にする」「―な話しぶり」
2 (多らか)分量が多いさま。たくさん。「打ち蒔きの米(よね)を―にかきつかみて」〈今昔・二七・三〇〉
い‐ぶき【息吹・▽気吹】:《上代は「いふき」》1 息を吐くこと。呼吸。
2 生気や活気のあること。「春の―に触れる」「時代の―」
佛像曾在火灾中被烧毁。修复后仍留下斑斑点点的痕迹。不过听说脸部的一部分还保持着原样,笔者远远地眺望了它一阵,在它含首的微笑中感受到了古代那种豁远的氛围。
飛鳥寺は、大化の改新にもゆかりのある史跡だ。645年6月、豪族の蘇我入鹿(そがのいるか)を暗殺した中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)は飛鳥寺に入った。そして甘樫丘(あまかしのおか)の自邸にこもった入鹿の父、蝦夷(えみし)とにらみ合ったという。
たいか‐の‐かいしん〔タイクワ‐〕【大化の改新】:大化元年(六四五)中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)・中臣鎌足(なかとみのかまたり)が中心となって行った、蘇我氏打倒に始まる一連の政治改革。唐の律令制を手本として、公地公民制による中央集権国家建設を目的としたもの。皇族・豪族の私有地・私有民の廃止、地方行政制度の確立、班田収授の法の実施、租・庸・調などの統一的な税制の実施などをうたった改新の詔(みことのり)を公布。大宝元年(七〇一)の大宝律令の制定によってその政治制度は確立した。
ゆかり【▽縁・所=縁】:1 なんらかのかかわりあいやつながりのあること。因縁。「縁(えん)も―もない」「文豪―の地」「―の者を頼って上京する」
2 血縁関係のある者。親族。縁者。「おのが―、西東合はせて六百人ばかり」〈宇津保・藤原の君〉
3 《「ゆかりじそ」の略》梅干と一緒に漬け込んだ紫蘇(しそ)の葉を乾燥させて粉にしたもの。飯にふりかけたりする。
飞鸟寺与大化革新也颇有渊源。645年6月,曾暗杀了豪族苏我入鹿的中大兄皇子迁回飞鸟寺。此时入鹿的父亲暇夷正处于甘坚丘的自宅中,双方相恃不下。
その甘樫丘のふもとの遺跡で、入鹿の屋敷の一部だった可能性のある建物などの遺構がみつかった。今回発掘された柱の穴から想定される建物や塀は、小規模なものだ。しかし、94年には、すぐ近くから焼けた木材や土が見つかっている。1400年近く前の時代への想像をかきたてる発見だ。
い‐こう〔ヰ‐〕【遺構】:昔の都市や建造物の形や構造を知るための手がかりとなる残存物。考古学では、住居跡・倉庫跡・水田跡など、その配置や様式を知る手がかりとなる基壇や柱穴など。
在甘坚丘山麓的遗迹中,发现了一些建筑物的遗迹,有可能是入鹿家宅的一部分。从这次挖掘出来的柱子上的坑洼来看,估计该房子和院墙属于小规模建筑。不过,94年在附近曾发现了被焚烧过后的木材和土。这一发现能促使人们去想象1400多年前的时代面貌。
「冬(ふゆ)十一月(しもつき)に、蘇我大臣(そがのおほおみ)蝦夷(えみし)・児入鹿臣(こいるかのおみ)、家を甘橿岡(うまかしのをか)に双(なら)べ起(た)つ。大臣の家を呼(よ)びて、上(うへ)の宮門(みかど)と曰(い)ふ。入鹿(いるか)が家をば、谷(はさま)の宮門と曰ふ……家(いへ)の外(と)に城柵(きかき)を作(つく)り、門(かど)の傍(ほとり)に兵庫(つはものぐら)を作る……恒(つね)に力人(ちからひと)をして兵(つはもの)を持(も)ちて家(いへ)を守(まも)らしむ」(『日本書紀』岩波書店)。この記述の通りだったとするならば、丘は砦(とりで)のようだったのかも知れない。
とり‐で【×砦・▽塁・×寨】:《取り出して築く城の意》
1 本城の外の要所に築く小規模な城。出城。柵塁(さくるい)。
2 外敵の攻撃を防ぐための建造物。要塞。
“冬十一月,苏我大臣暇夷与入鹿父子,于甘缰冈双双崛起。勾结大臣,言欲破宫门。以入鹿宅为据点,逼往谷的宫门……在自宅外围建栅栏,门旁立兵库……一直致力于武力,持兵护家。”(《日本书纪》岩波书店)通过这段文字的记述,丘可能建得像城寨一样。
今、この丘には誰でも登れる。坂の上の見晴らし台から大和三山も一望できる。古代の権力が激しくせめぎあった舞台は、時にさらされ、穏やかな風景となって心をなごませてくれる。
如今,谁都能登上这座山丘。站在坡上的了望台上,大和三山都能一览无余。古代权势激烈相争的舞台,在岁月的洗刷下也变成了恬静的风景,看起来让人心境平和。
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