每日阅读(1.31):金子勝彦
アナウンサーの金子勝彦さん(71)が東京12チャンネル(現テレビ東京)で、「三菱ダイヤモンドサッカー」の実況担当を始めたのは68年のことだった。週1回、世界のサッカーを紹介する番組は約20年続いた。中高年のサッカーファンは声を聞いただけで、金子さんとわかるのではないだろうか。
68年,播音员金子胜彦先生(现71岁)开始担任东京12频道(现东京电视台)“三菱钻石足球”实况转播解说一职。该节目每周一期,整整持续了约20年时间,内容是介绍世界足球。中老年球迷恐怕一听到这个声音,就知道是金子先生在解说了吧。
番組にとって最初のワールドカップ(W杯)となったのは、70年のメキシコ大会だ。現地からの録画映像に東京で音声を入れ、毎週毎週1年間にわたって放送した。全試合を生中継する現代から見れば、隔世の感がある。
该节目第一次报导的世界杯是70年墨西哥大赛。将现场的录相带到东京加入声音,每周播放一期,整整放了一年时间。从全场比赛都是现场直播的现代来看,真觉恍若隔世。
初めての生中継となった74年西ドイツ大会の決勝戦は、参院選の投開票日と重なった。他局が開票速報を流す中、地元西ドイツがオランダを破って優勝を決めた光景を、金子さんだけが日本に伝えた。視聴率は3・7%だった。
最初的现场直播是74年的西德世界杯决赛,当天正赶上参议院选举的投票开票日。其它电视台在播放开票速报时,只有金子先生在报导当地西德队大败荷兰队取得冠军的情景。收视率达到3.7%。
以来フリーに転じてからもW杯にかかわってきたが、01年に肺がんの手術を受けてからは、4年ごとに開かれるW杯が自分にとっての一里塚のように思えてきたという。
いちり‐づか【一里塚】
1 主要な街道に一里(約三・九二七キロ)ごとに築かれた塚。榎(えのき)・松などが植えられ、旅人のための里程標となった。
2 大きな仕事や目標へむかう過程での一つの段階。「遠大な計画の―ともなる事業が成った」
后来脱离东京12频道后,金子先生仍从事与世界杯相关的工作。据说,01年他因肺癌动了手术后,开始觉得每四年召开一届的世界杯已成了自己的里程碑。
手術当時は声がきちんと出るか不安で、今回のドイツ大会などはとうてい無理だと思っていた。しかし、次のW杯まではがんばりたいという気持ちのせいか、しだいに健康も回復し、今回の決勝戦はCS放送で実況を担当することが決まった。32年前の思い出が残るドイツの地に来月初め、再び向かう。
动手术时,金子先生很担心自己的声音能否正常发出,当时想着这次德国大赛实在是没法子解说了。然而,或是因着想要努力坚持到下一届世界杯的心情,他的身体也慢慢恢复了健康,并决定担任CS电视台的本届世界杯决赛实况解说。下个月初,他将再次去往32年前的回忆之地——德国。
「W杯がどんなに楽しいものかを、扇情的なことばを使うのではなく、淡々と伝えたい」。4年後の南アフリカ大会については、決勝戦が終わってから考えることにしている。
“我不想使用过于煽情的词句,只想淡淡地传达给大家世界杯有多么的愉快。”至于4年后的南美大赛,金子先生决定在决赛结束后再做考虑。
- 相关热词搜索: 每日阅读
- 上一篇:每日词汇(1.31):たてまえ(建前)场面话,漂亮话
- 下一篇:每日语法(1.31):宿題
相关阅读
- 每日阅读(3.20):万里の長城03-29
- 每日阅读(3.21):和解03-29
- 每日阅读(3.22):梵帝冈...03-29
- 每日阅读(3.23):現代風の大厦高楼03-29
- 每日阅读(3.24):小泉首相はジャカルタで演説した03-29
- 每日阅读(3.25):血液型診断03-29