每日阅读(2.6):親心
半世紀近く前のことである。学校からの連絡や保護者の短文を載せたガリ版刷りの学年通信が、時折配られた。ある時、万葉集から山上憶良の歌を引きつつ我が子への愛をつづった、ひとりの母親の随想があった。
がり‐ばん【がり版】
(ガリは鉄筆で原紙を切る音から) 謄写版の俗称。「―刷」
近半个世纪前,有时会分发蜡版印刷的学年通讯,上面登载着学校方面的联络及监护人短文。有一次登载了一名母亲所写的随感,其中引用万叶集中山上忆良的和歌抒发了对孩子的爱。
〈銀(しろがね)も金(くがね)も玉もなにせむに優(まさ)れる宝子にしかめやも〉。母親の率直さに驚きながらも、大きな愛に包まれているだろうこの生徒の家を想像した。
“金银珠宝万物皆/不及吾儿心头爱”。在惊叹于母亲率直的同时,笔者也想像到这名学生的家庭内定是爱意融融。
憶良の歌は、子どものかけがえのなさや、やむにやまれない親心を表している。そうには違いないが、いにしえの世からこの歌が光り輝き続けていることの裏には、この宝の、一筋縄ではいかない扱いの難しさがあると思う。
诚然,忆良的和歌中表现出孩子是无可替换的宝贵财富,以及无法停止关爱的父母心。但笔者想,这首和歌从古至今大放异彩的背后,也存在着很难处理好这份财富的一面。
親は、子のためと思って、時には厳しく子どもに接する。子どもは、従うか、無視するか、抵抗する。子が、親の厳しさを自分のためと思うか、親自身のためと思うか。この辺りが一つの分かれ目だろうが、厳しさの案配は悩ましい。
父母为了孩子着想,偶尔也会很严厉地对待他们。孩子是服从,无视,还是抵抗?孩子认为父母的严厉是为了他们着想,还是为了父母自己着想?这是最关键的地方之一。父母究竟该严厉到什么程度好,很是让人烦心。
「おとなは、だれも、はじめは子どもだった。(しかし、そのことを忘れずにいるおとなは、いくらもいない。)」(サン=テグジュペリ『星の王子さま』岩波書店・内藤濯訳)。大人は必ず子どもを経て親になるが、子どもに親の経験はない。当たり前のことだが、難しさの根本は、こんなところにあるのかも知れない。
“大人们一开始都是孩子。(但是很多大人都忘了这点)。”(圣·修伯里《小王子》岩波书店·内藤濯译)大人们都是经历过孩童时代而成为父母的,但孩子们却没有做父母的经验。这本是理所当然的事情,但难点的根源或许正在这儿。
サン=テグジュペリは、こうも述べている。「子ども時代、だれもがそこから出てきた広大な領域!」(『戦う操縦士』みすず書房・山崎庸一郎訳)。それぞれがたどってきた広大な領域を思い起こしながら、ゆっくりと、深呼吸でもしてみようか。
圣·修伯里还这样说过:“每个人都是从孩童时代走向广阔的领域”(《战斗飞行员》美铃书房·山崎庸一郎译)。笔者想起每个人所到达的广阔领域,不由想缓慢地深呼吸一下。
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