2級读解105
ある本を読んで複雑な気持になった。この本には「毎朝10分、本を読んだ女子高校生達」という副題らしきものがついているが、要するに、ある私立女子高校で始業前の10分間、毎日読書させた結果、遅刻も減って、生徒達が本好きになったという教育報告である。どうしてこのような「朝の読書」を実践したのか、教師側の座談会や卒業前の一クラス全員の感想文もついている。(63)それによると、読書は強制するものではないという意見に対して、読書の動機づけは必要なのではないか、最初の環境の整備こそ教育の役割で、後は自分で習慣になるという。
「A」生徒達の感想文を読むと、これまでコンビニ(昼夜商店)で漫画雑誌や週刊誌を見るだけの自分が、進学校の生徒と同様に本屋さんに行き、対等に本を探しているのが誇らしいという意見や成長した自分を感じるという意見が並んでいる。
「B」気になることはあるが、教育実践としては評価すべきことなのだと思う。少なくとも教師が生徒達のことを真剣に考えている様子が行間から伝わってくる。荒廃した教育の現場を思えば、(64)これは特筆すべきことだろう。したがって、「朝の読書」実践教育にケチをつける(挑毛病)ものではない。それに、読書がたしかに習慣であることも否定できない。
「C」というのは、根本の疑問として、本を読むことが本当に素晴らしいことなのか、ということがあるのだ。読書好きの人間が素晴らしい人格者とは思えないのは、本好きで、しかも嫌な人間を多く知っているからだ。本を読む人と読まない人の中に素晴らしい人間と嫌な人間がいる比率は同じようなものだ。人間形成に、たしかに読書は役に立つかもしれない。結果としてダメになるかもしれない。しかし、逆は決して真ではない。きっかけが無ければ本を読まないではないかという意見には、本は読まないでもいいのだと答えよう。われわれは好きだから(65)。
「D」以前も書いたことだが、繰り返す。本は必ずしも役立つものではない。むしろそういう(66)有用性から依然と自立しているからこそ素晴らしいのである。ところが、本は必ずダメになるという活字信仰が、逆に自由な空間から外に本を追いやっているのが現状のようで、その幻想こそが活字離れを生んでいるのではないか。
62、下線62の「朝の読書」を実践した教師達の意見は、次のどれか、最も適当なものを一つ選びなさい。
A、読書は強制するものではない。
B、読書を習慣にするには動機づけが必要である。
C、教育論と読書論はことなる。
D、読書好きの人間が素晴らしい人格者だとはいえない。
63、下線63の「それ」は何を指しているか。次のなかから最も適当なものを一つ選びなさい。
A、筆者が読んだ本の副題
B、クラス全員の感想文
C、教師の座談会
D、「朝の読書」の教育報告
64、下線64の「これ」は何を指しているか。次のなかから最も適当なものを一つ選びなさい。
A、「朝の読書」の教育実践
B、女子高校生達の成長
C、筆者の疑問
D、教師の取り組みかたの評価
65、(65)に入る文はどれか。次のなかから最も適当なものを一つ選びなさい。
A、タメになっているに過ぎない
B、考えているに過ぎない
C、書いているに過ぎない
D、読んでいるにすぎない
66、下線66の「有用性から依然と自立している」とはどういうことか。次のなかから最も適当なものを一つ選びなさい。
A、役に立つかどうか、とは別の価値を持つということ
B、役に立たないことにこそ価値があるということ
C、役に立つことははっきりしているということ
D、役に立つかどうか、よく考えるべきだということ
67、「しかし、と私は考える。それは教育論であり、読書論はまた別である。」という文は文中「A」「B」「C」「D」の何処に入れるか、次のなかから最も適当なものを一つ選びなさい。
A、「A」 B、「B」 C、「C」 D、「D」
答案:
62、B
63、D
64、D
65、D
66、A
67、C
读了这本书之后心情会变得很复杂。这本书的副标题是《每天早晨读10分钟书的女高中生》,主要说的是,有些教育报告声称,在一些私立女子高中每天开始上课前10分钟的时间进行读书,结果迟到减少了,学生们也喜欢读书了。为什么要实行这样的“晨读”呢,教师们的座谈会和毕业前期的一个班级里所有学生的感想文章都与这个问题有关。进一步说,对于读书不是强制的活动这样的意见,可以这样说:读书的动机是必要的,提供最初的(读书)环境正是教育的分内之事,以后就会自己养成习惯。
读了学生们的感想文章后,(想起)以前只是在昼夜商店看漫画杂志、期刊的自己,(后来)和升学的学生去同样的书店,一样在寻找着书,似乎有些夸耀的感觉,也感觉到自己的成长。
虽然有些事需要担心,但应该(把这件事)作为教育实践来进行评价。字里行间表达了教师们在认真地考虑学生们的事情,哪怕很少。考虑到已经荒废了的教育现状的话,这是需要大书特书的事吧。但是,“晨读”实践教育不是要挑毛病。此外,也不能否认读书确实是一种习惯。
但是,我这样考虑。(?)这是教育理论,而不是读书理论。读书真的是很好的事情么,也有这样根本性的疑问。我并不认为喜欢读书的人就是很优秀的人,因为我认识很多喜欢读书,却很讨厌的人。在读书和不读书的人中,优秀的和讨厌的人比例一样多。也许读书确实对人格的形成有帮助,但结果却可能毫无用处。但是,反过来却绝非正确。有意见说没有机会的话就没法读书了吧,对此可以回答道,不读书也可以的。我们不过是因为喜欢所以才读书的。
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