理由を問う問題
もし山々に木がなかったら、土ははがれ、山は崩れ、陸地は石と岩だらけの荒れ地と化していたことであろう。土地は不毛となり、更に雨の度に下流は土砂と洪水に見舞われ、平野での耕作はおろか、人々が安全に平野に住むことすら不可能になっていたに違いない。快適で便利な生活への限りない欲望のままに木々を切り続けていたら、いつかそのつけに苦しまねばならぬのは我々自身なのだ。この美しい地球の緑を守ることは人間が自分達自身を守ることにほかならない。
* ~はおろか:~はもちろん。 つけ:後でまとめて払うべき負債。
問:なぜ「緑を守ることは人間が自分達自身を守ること」なのですか。
1. 木を切って使うことで我々は快適に暮らせるから。
2. 木が地球を美しい星にしてくれているから。
3. 緑のない場所が住みにくい場所になってしまっているから。
4. 木が平野を人間の生活に適する場所にしてくれているから。
正解:4
その計画は半ばまで進んだところで止まってしまった。資金は確かに十分とは言えなかった。が、あるところまで様子を見た上で援助を考えてもよいと言ってくれた人がないわけではなかった。場所を確保する見通しもついていた。少し狭すぎると言う難点もあるにはあったが。我々の気持ちがもっと一つになってさえいたらと、思われてならない。どうしても人手が足りないときは声を掛けてくれと言ってくれた人もいたのに...。
問:なぜ計画が「止まってしまった」のか。
1. 見つかった場所が狭かったから。
2. お金が足りなかったから。
3. 仲間の間に意見の対立があったから。
4. 働き手が足りなかったから。
正解:3
英会話のクラスでアメリカ人の先生に「ノーならノーと、もっとはっきり言いなさい。あなたがた日本人のそのあいまいな態度は無責任ですよ。」と注意され、山下秀雄氏の『日本のことばとこころ』という本の中に、日本人が一般的にはっきりノーと言わないのは、日本語の構造と関係があるのでは、と書いてあったのを思い出した。「見ませんでしたか。」と聞かれて、見なかった場合、英語では「ノー」と答えるのに対し、日本語では「はい」と答える。すなわち英語の場合にはお互いが客観的事実を見て、その事実に対してイエス、ノーを言うのに対し、日本語の否定は相手の質問そのものに向けられる。きっぱり否定することは、事実の否定を飛び越えて相手の考え方に対する否定と受けとられかねない。日本人はその控えめな「ノー」によって、否定が相手に対してではなく事実に対してのみ限定されることを無意識のうちに伝えようとしているのではないか、と山下氏は指摘していたが、なるほどそうか、と思った。だとすれば、「ノー」とはっきり言える日本人になるということは、かなり難しいことかもしれない。
問:なぜ先生に「注意された」のですか。
1. 日本人が無責任な答え方をするから。
2. 日本人が「ノー」をはっきり言わないから。
3. 日本人が客観的事実をしっかり見ないから。
4. 日本人が相手に誤解されることを恐れているから。
正解:2
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