日本語文法『明示性』
明示性
「明示性」というのが適訳かどうかはわかりませんが、訳語がありませんので一応明示性としておきます。言語学で言うevidentialityとかevidentialsの訳です。明示性とはモダリティーの一種であると考えることもできますが、僕は代名詞と深くかかわっていると考えています。日本語では感情を表わす形容詞や形容動詞は1人称の場合は使うことができますが、2人称や3人称には直接つかうことができません。これは他人の感情ですから明示的でないために使用することができないということです。英語のevidentialityとはevidence 「証拠」がないために使えないということです。具体的な例を考えてみましょう。
(1)
a. I am sad.
b. He is sad.
c. I am tall.
d. He is tall.
(1)の英語をIは「わたし」 heは「彼」 sadは「悲しい」 tallは「背が高い」と訳してそのまま日本語にしてみます。
(2)
a. わたしは悲しい。
b. *彼は悲しい。
c. わたしは背が高い。
d. 彼は背が高い。
「悲しい」という感情を表わす形容詞は本人のみしか直接的には理解していませんから(2b)のように主語に1人称以外のものがつくと日本語では非文となってしまいます。しかし「背が高い」というような形容詞は(2c)のように1人称の主語にも3人称の主語にも使われます。「背が高い」とは相対的なものですが、視力があれば誰でも同じような評価を下すことができますから、1人称2人称3人称に関係なく使われるのです。別の表現をすると「背が高い」はevidentialityがありますから人称に関係なく使用することができるのですが、感情を表わすような「悲しい」というような形容詞はevidentialityが低くて2人称や3人称の主語には使うことができないということです。
しかし、英文を見てもわかるように、英語ではこのようなevidentialityの区別をしていません。英語ではsadという形容詞は主語が1人称でも2人称でも3人称でも自由に使うことができるのです。これはどうも日本語と英語における代名詞の形態が異なっているからであると推論することができます。次の英文と日本文とを比較してください。
(3)
a. Tom said that he liked dogs.
b. トムはPRO犬が好きと言った。
日本語と英語では代名詞の働きが異なってきますから、英語のheを日本語の「彼」に訳をして「トムは彼が犬が好きと言った」とすると、(3a)の英文のうちの解釈可能な1つの意味しか表わさなくなってしまいます。つまり(3b)はTomとheとが別々の人を表わす意味しか表わしません。代名詞のheがTom以外の人を指す場合の意味しか表わしません。しかし一般には(3a)の英文は従属節の主語のheは主節の主語であるTomを指すと解釈するのが一般的です。このような場合は日本語では音形のない代名詞のPROを使って(3b)のように表現します。つまり英語のheと日本語の「彼」とは一対一で対応しているわけではありません。英語の人称を明確に表わす代名詞は日本語では別の文法形式を使って表わしているのです。
日本語では音形のないPROという代名詞を使っています。このPROは音形を持っていないために1人称とか2人称とか3人称といった人称の区別が英語のように明確ではありません。日本語の代名詞PROは文脈に依存して指すものを決定しますから人称のあらわ仕方が曖昧になってしまいます。この曖昧さを補うのが代名詞で主語をあらわすのではなく、動詞や述語に派生辞をつけることによって人称の区別をおこなっているのです。つまり明示性は日本語においては英語の代名詞の機能の一部を担っているのです。日本語ではevidenceのない2人称や3人称の場合の感情の表現の仕方は「のようだ」とか「がっている」とか「みたい」という推論を表わす語を付加させて表現します。先ほどの(2b)の「*彼は悲しい」は「のようだ」とか「がっている」をつけて次のように表現します。
(4)
a. 彼は悲しがっている。
b. 彼は悲しいようだ。
c. 彼は悲しいみたい。
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