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「~は~が~」構文について

时间:2008-03-19 23:43:02  来源:本站原创  作者:echo
Bが省略できる場合もある。BがAの代表的な部分の場合である。
花子は顔がきれいだ。 → 花子は きれいだ。
「花子は顔がきれいだ」は「花子は きれいだ」とも言える。「花子はきれいだ」と言えば、普通は「顔がきれいだ」の意味である。このように代表的な部分[この場合は「顔」]は省略できる
以上をまとめると次のようになる。
象は鼻が長い。
「長い」は属性形容詞。(象の)鼻の属性を表す。
私は頭が痛い。
「痛い」は感覚形容詞。「私」は感覚を感じる主体、「頭」は感覚を感じる箇所を表す。
私はお腹がすいた。
「私は……すいた」とは言えない。
「お腹」と「すく」の結びつきが強い。
花子は顔がきれいだ。
「花子は きれいだ」と言える。
代表的な部分は省略可能。
れまでの問題点は次の通り。
  • 属性形容詞と感覚形容詞の区別はこの「~は~が~」構文にとって有効な区分なのか。
  • 「結びつきが強い」ことはどう証明されるのか。
  • 「省略可能な代表的な部分」とは「顔」の他に何があるか。
      象は体が大きい。 → 象は 大きい。 この例では「体」も省略可能。
1-2「持ち物」について
「花子は着ているものがはでだ」という文で「着ているもの」は花子の体の部分ではない。「持ち物」である。この場合、実質的な所有権とは関係なく(つまり、借り物であっても)文法用語としての「持ち物」である。
1-3「生産物」について
「花子はかいた絵が売れた」という文で「かいた絵」というのは花子の制作したものという意味である。「生産物」である。このような「生産物」は「持ち物」になりうる。
「花子は声がきれいだ」という文で「声」は花子の部分ではない。声は声帯、呼気などによって作り出されるものである。これも「生産物」の一種である。
「花子は字がきれいだ」という文で「字」というのは花子が書いた文字のことである。これも「生産物」と考えられる。「声」や「字」は「持ち」とは言えない。この点で「生産物」というカテゴリーを設ける必要性があるのである。
1-4「側面」について
「富士山は高さが 3776mだ」という文で「高さ」というのは富士山の部分でも、持ち物でも、生産物でもない。このようなものを「側面」と言う。「大きさ、重さ、面積、体積、温度」などは側面である。
1-5その他
「山田さんは奥さんが病気だ」という文で「奥さん」とは「山田さんの奥さん」のことである。この場合、夫婦の関係、広い意味では親族関係である。(持ち物ではない!!)
「山田さんは部下が事故に遭った」。親族関係以外でも、このような文がある。
「山田さんの奥さん」「山田さんの部下」と言った場合、その「奥さん、部下」は相対名詞の一種である。相対名詞とは、基準が定まらないと指示対象が定まらない名詞のことである。その基準とはこの場合「山田さん」である。
一般に「AのB」という言い方でBが相対名詞の場合、その基準はAで示される。そして、この「の」は基準を表す「の」 と言われる。
この項の問題点
ここではBが相対名詞の場合だけを取り上げたが、AとBとの関係はそれだけではないだろう。この他にどんな関係があるかが大きな問題点である。
 
2述語「~」がガ格の対象を取るもの
次に、述語「~」がガ格の対象を取り、結果として「~は~が~」という形になるものをまとめる。
2-1欲求の対象
「私は新しいカメラがほしい」という文で「(新しい)カメラ」は「ほしい」の対象である。「私は水が飲みたい」という文で「水」は「飲みたい」の対象である。「ほしい」「~たい」(動詞のタイ形「飲みたい、読みたい、見たい」など)は欲求を表している。つまり、欲求の対象のガ格を取る述語とは形容詞「ほしい」および動詞のタイ形である。
なお、欲求の対象をヲ格で表すこともある。
私は新しいカメラほしい。 私は水飲みたい。
英文法の知識が日本語の話し手の中に浸透したせいか、目的語=対象は「を」で表すものだ、という考えの者が現れたからと思われる。また、実際の文では「~を~たい」という言い方の方が「~が~たい」という言い方より圧倒的に多い。
2-2すききらいの対象
「私はねこがすきだ」「花子は犬がきらいだ」という文で「ねこ」「犬」はすききらいの対象である。すき・きらいの対象のガ格を取る述語とは形容動詞「すきだ、きらいだ」である。
なお、「~ すきだ」「~ きらいだ」と、すき・きらいの対象をヲ格で表す言い方も、上に述べた理由から、最近よく見られる(聞かれる)ようになった。
2-3可能の対象
「花子はピアノがひける」という文で「ピアノ」は「ひける」の対象である。「花子は英語が話せる」という文で「英語」は「話せる」の対象である。「ひける」「話せる」は可能を表している。つまり、可能の対象のガ格を取る述語とは動詞の可能形(「ひける、話せる、見られる」など)である。
なお、上に述べた理由から、可能の対象もヲ格で表される例が見られる(聞かれる)ようになった。
花子はピアノひける。 花子は英語話せる。
2-4その他
「私は犬がこわい」という文で「犬」は形容詞「こわい」の対象である。このようにガ格の対象を取る形容詞がある。ガ格の対象を取る形容詞には「こわい」以外にどんなものがあるだろうか。
「こわい」は感情形容詞で人称制限がある。三人称を主語とするときは動詞「こわがる」を用いる。その場合、対象はヲ格で表される。
太郎は犬をこわがる。
この節の問題点
  • ガ格の対象を取るとされてきた形容詞、形容動詞、動詞のタイ形、動詞の可能形もヲ格で言い表されることが多くなった。このガ格とヲ格のせめぎ合いをどう考えたらよいか。
  • (再掲)ガ格の対象を取る形容詞には「こわい」以外にどんなものがあるか。
3上手下手、得意不得意の表現
この表現で用いられる述語は「上手だ、下手だ、得意だ、不得意だ」という形容動詞である。「花子は 上手だ」と言われると、「何が?」と問い返したくなる。「花子は歌が上手だ」のように「歌が」を補わなければならない。そういう意味で「歌」はある種の補語である。「下手だ、得意だ、不得意だ」についても同じことが言える。
しかし、「歌」など補うことばを対象と言えるかどうか。対象とは考えられない。「花子は歌上手だ」などとは決して言わない。つまり、これらの形容動詞は対象を取る述語とは考えられない。それで、前項(ガ格の対象を取る述語)とは別に1項目設ける必要があるのである。
4Aが主題化変形されたもの
主題化変形とは補語の一つを主題として取り出すことである。具体的にはその補語に「は」を付けて文頭に持って行く。例えば「私がその仕事をします」という文で「その仕事」を主題として取り出すとすると、「その仕事は私がします」となる。「今日雨が降っている」という文で「今日」を主題として取り出すと、「今日は雨が降っている」となる。この文では元々「今日」が文頭にある。 (詳しくは『日本語文法入門』p.12~13) そうして、見かけ上は「~は~が~」となる。
5所有の表現
所有の表現は「[所有者] [所有物] ある」という構文を取る。これを所有文と言う。
私にお金がある。
所有者を主題化すると、
私にはお金がある。
となる。この「に」は時に省略されて
私はお金がある。
となる。それで、見かけ上は「~は~が~」という文になる。
所有文と存在文との違い
「ある」を述語とする文には事物の存在を表す存在文がある。存在文では存在場所は「に」で表される。
公園にブランコがある。
存在場所を主題化すると
公園にはブランコがある。
となる。存在文ではこの「に」は略されないので、「~は~が~」の文とはならない。この点で存在文は所有文と異なるのである。
公園はブランコがある。
と言えないこともないが、こうなると、これはもはや存在文ではなくなる。「公園」は存在場所を表しているとは言えないからである。
6経験の表現
北海道に行ったことある。
この文を「~は~が~」構文の文と思う人はいないだろう。しかし、頭の固い学生はそう思うかもしれない。
この文は複合述語を説明するときに使う例文である。「~たことがある」という形で経験を表す一種の語尾と見なすのである。

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