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日本語の数量詞の遊離について

时间:2008-04-11 20:13:47  来源:本站原创  作者:echo
 
第三章 数量詞の遊離と「を」格名詞句
 
さて、次に、数量詞の遊離と「を」格名詞句の問題に移ります。日本語には、奥津(1969)などで論じられているように、数量詞の遊離と呼ばれる現象がある。
 
14a.  三人の学生が来た。
 b. 学生三人が来た。
  c. 学生が三人来た。
このように、14cでは、数量詞「三人」が名詞句中から遊離し、意味的には「学生」を修飾するものの、統語的には連用修飾句になっている。しかし、しばしば論じられているように、数量詞は、あらゆる名詞句から遊離するわけではない。
 
15a.五本の鉛筆を買った。
  b.鉛筆五本を買った。
  c.鉛筆を五本買った。
 
16a.八人の子供にピアノを教えている。
  b.子供八人にピアノを教えている。
  c.子供に八人ピアノを教えている。
 
17a.四台のトラックから荷物を降ろした。
  b.トラック四台から荷物を降ろした。
  c.トラックから四台荷物を降ろした。
 
18a.五枚のベニア板で巣箱を作った。
  b.ベニア板五枚で巣箱を作った。
  c.ベニア板で五枚巣箱を作った。
15に示したように、「を」格名詞句から数量詞は遊離することができる。一方、「に」格名詞句、「から」格名詞句、「で」格名詞句などからは遊離することができない。15の「を」格名詞句は目的語であったが、移動補語の場合はどうであろうか。
 
19a.その村に行くには、三つの川を渡らなければならない。
  b.その村に行くには、川三つを渡らなければならない。
  c.その村に行くには、川を三つ渡らなければならない。
 
20a.五つのトンネルを抜けると、その駅に着く。
  b.トンネル五つを抜けると、その駅に着く。
  c.トンネルを五つ抜けると、その駅に着く。
このように、移動補語である「を」格名詞句からも数量詞は遊離することができる。
このような点について、影山(1980)は、次の21のような例を挙げて、これが「離脱動詞の(NPを)が直接目的語であることを示している」と述べている。
 
21 部屋を三つ出たところで、先生に出くわした。
先に述べたように、数量詞はどのような名詞句からでも遊離するわけではないが、影山(1980)は、主語と直接目的語とからは遊離し得ると考えているようである。しかしながら、Shibatani(1977)で論じられているように、日本語の数量詞の遊離は、主語、直接目的語といった文法関係ではなく、「が」格名詞句、「を」格名詞句といった表層格に支配されているとも考えられる。
例えば、「与格主語」の場合、「に」格名詞句は主語と考えられるのに、数量詞の遊離を許さない。
 
22a.三人の学生スペイン語が話せる。
  b.学生三人スペイン語が話せる。
  c.学生三人スペイン語が話せる。
しかし、次のように、与格主語を主格主語にすると遊離を許すようになる。
 
22d.学生三人スペイン語が話せる。
このことから見れば、数量詞の遊離は、文法関係ではなく、表層格に支配されていると考えられるのである。これに対して、井上(1978)は、視点の概念を用いて22cを排除し、数量詞の遊離は文法関係に支配されるとしている。
同様に、数量詞の遊離が文法関係に支配されているとする議論として、Harada(1976b)、Ono(1984)などもあり、まだ決着をみていない。文章では、この問題に深く立ち入る余裕はない。ただ一つ指摘しておきたいのは、これまで、この問題が移動補語からの遊離との関わりで論じられることがほとんどなかったことである。しかし、この移動補語の取り扱い決定的な根拠になり得るであろう。つまり移動補語は目的語ではないとなれば、数量詞の遊離が表層格に支配されているとする強力な根拠になるのである。
 
結論
以上、各型の関係および数量詞の「副詞的性格」から、数量詞の遊離について分析してみた。まだ行き届かないところがたくさんあるから、これから、もし時間があれば、もっと深く検討していきたいと思っている。
                          
 

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