【日本文化略知一二】茶の湯の心は「一期一会」(上)
相信大家在很多电视剧和日本课上都听过"一期一会"这个词.那它究竟是什么意思呢?它与茶又有什么渊源呢?今天就让我们来好好了解一下
茶の湯というのは、亭主と客が寄り合い、喫茶を介して心をかよわせることで、亭主は空腹しのぎ程度の簡単な料理を出し、抹茶をたてて、もてなすところから始まりました。この茶の湯は、茶会を一生に一度の出会いの場ととらえ、相手に誠意を尽くすという「一期一会」の精神を究極の姿としています。
唐代末の中国では、飲茶の習慣は広く行き渡っていましたが、日本に伝わったのは平安時代で、飲茶はまだ寺院の儀礼的なものにとどまっていました。その飲茶が広まったのは、鎌倉時代に禅僧栄西(1141~1215)が「喫茶養生記」を源実朝に献じてからで、それ以後、喫茶が武家社会に広まるのですが、当時は薬用だったようです。このころのお茶は抹茶であり、茶筅でかきまぜて飲む、挽茶あるいは碾茶ともいう粉末にした緑茶でした。この抹茶の茶会が茶の湯へと発展するのですが、抹茶は中国では宋代にのみ行われ、明代以降は廃れてしまいましたから、今では日本にしか残っていません。
茶の湯は織田信長、豊臣秀吉に仕えた千利休(1522~91)によって大成されますが、それは時間(点前作法)から空間(茶室、露地)にわたるもので、新たに楽茶碗や竹の花入れなどを加えた創造的なものでした。利休は茶の湯の心は「わび」であり、「わび」とは春を待つ雪間の草のように、清楚にたくましく生きようとする生命の強さだと弟子に教えています。無駄なく、ぎりぎりまで切りつめた極小の茶室、土壁の床におかれた青竹の花入れには生き生きとした野の花、清閑な空間に張りつめる生命感、そこには人をもてなす暖かい心づかい、奢侈も権威も不用とする思想が根底にあります。この権力者に媚びない千利休の言動は、後に秀吉の怒りを買い、利休は死を命じられ、自刃して亡くなります。しかし、この「わび」の精神は茶の湯のみならず、芭蕉の俳諧にも受け継がれ、静寂な観賞的な態度で物事を観察する「さび」の観念とも結びついて、日本人の美意識にも大きな影響を与えることになります。
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