【日本文化略知一二】奇跡の戦後復興からバブル崩壊へ (下)
今天就日本的复兴奇迹来给大家介绍后篇部分!
1965年の日韓条約締結以降は、日本企業のアジア進出が目立った時期だった。日本政府がODAで受け入れ国の産業基盤を整え、続いて民間企業が進出して現地生産し、その低コストの製品を海外輸出するというパターンが官民一体で進められた。このODAや日本企業の進出が、アジア諸国の工業発展に寄与した面を無視するべきではないが、受け入れ国の人たちから「エコノミック・アニマル」と批判されるほど、露骨なひもつき援助であったのも事実で、東南アジア諸国では日本商品ボイコット運動が起こったぐらいである。
しかし、この日本の高度成長も、1973年から74年にかけての石油危機によって終焉を迎えることになる。石油危機は、資源小国日本にとっては国家の存亡がかかった大問題だった。日本は国と企業が一丸となって、省エネルギー型産業構造への転換を進めた。その結果、日本の製造業は世界に先駆けてロボット、NC(数値制御)工作機械などの導入に踏み切り、徹底した省エネルギー・省力化によって、この危機を乗り切ることに成功した。そして国際競争力を高めた日本製品は世界市場を席巻し、80年代の安定成長に入った。日本人は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という優越感に酔いしれた。しかし、「驕る平家は久からず」とはよく言ったもので、日本はバブル景気に浮かれ、1990年のバブル崩壊後は「失われた10年」と呼ばれる深刻な不況に突入することになる。
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