日语杂谈随笔 第31期 ギリシャ神話 (中) 中日文对照
何でもないことでも疑わしくなり、恐ろしくなる。そして、いつもなら踏みとどまるはずなのに、突き進んでしまう。かつて日本では、関東大震災で「朝鮮人が襲撃してくる」というデマが広がり、多くの人が殺害された。
ふみとどま・る[5]:[5]【踏(み)《止まる】(自五)
(一)踏ん張って、その場所内にとどまる。
(二)他人が去ったあとまで、その場所に残る。「最後まで―」
(三)〔心が少なからず惹ヒかれる何かを〕がまんして、やめる。
つきすす・む[4]:[4]【突(き)進む】(自五)
(障害をものともせず)勢いよく進む。
デマ[1]〔←ド Demagogie〕
(一)△扇動的(謀略的)な悪宣伝。
(二)自分の利益のためにする(でたらめの)悪口や うわさ話。
「―が飛ぶ/―を飛ばす/とんでもない―だ」
对于任何不存在的事情都产生疑心,并为之恐惧。而且如果是在平时有所顾忌的事,在此时却反倒更积极地去做了。在日本曾经发生的关东大地震中,由于“朝鲜人攻来了”的谣言扩散,而导致许多人惨遭杀害。
クラトスには、ビアという兄弟がいて、そちらは、「暴力」を意味する。神話では、クラトスとビアは、いつも一緒だという。もとよりテロという暴力は許し難いが、「権力」は、「暴力」と同居しないよう踏みとどまるべきだろう。
库尔托斯有一个叫比阿的兄弟,他代表着“暴力”。在神话中,库尔托斯总是和比阿在一起。称之为“恐怖事件”的暴力原本就是不被容许的,我们是否应该努力做到不要让“权力”和“暴力”同时存在 呢?
作家の堀辰雄が4歳か5歳で見た花火の群衆の記憶を「幼年時代」に書いている。ものごころつく前だったのに、花火見物の人波に押されて母の背で泣きじゃくったことは鮮明に覚えていると。年譜によれば明治40年ごろ、東京・隅田川の花火を見たようだ。
作家堀辰雄把4~5岁时群众观看烟花的场面记忆写入了《幼年时代》一书中。虽是很早以前的事了,但观看烟花时被人潮推挤在母亲背上哭泣的场景却记忆犹新。据年谱记载,其观看的应该是明治40年左右東京・隅田川的烟花。
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