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大自然的缩影 形神兼备的日本插花

时间:2011-09-06 08:53:50  来源:可可日语  作者:ookami

華道とは、四季折々の樹枝、草花などを切って花器に挿し、その姿の美しさ、命の尊さを表現し観賞する芸術です。茶道などのほかの諸芸と同様、礼儀作法を大切にする日本の伝統的な芸術です。華道は6世紀に仏教の僧が仏前に花を捧げたのがその起源で、16世紀ごろから盛んになったといわれています。現在華道の流派は、華道家元である池坊を中心に全国に2000~3000ほどあるといわれています。自然の花を使って天、地、人の3要素をバランスよく表現するという考え方がきほんです。

花道是指把四季的树枝、花草等剪切插到花瓶里来欣赏其姿态的美丽和生命的珍贵的艺术。和茶道等其他艺术一样是很重视礼仪礼法的。花道起源于6世纪,是佛教僧人供奉于佛前的化。16世纪左右开始盛行。现在花道的流派以花道掌门人池坊为中心,全国大概有2000~3000个左右。使用自然的花,融合天地人三要素,这是花道的基本理念。

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日本の生け花では、色鮮やかな花だけでなく、枝ぶりや木の幹の美しい表情、葉や苔まで、自然植物すべてを総じて「花」と呼び観賞します。そして、はさみで長短をつけたり、葉の形を修正したり、手で反りを加えたりして、自然の美や心情を表現するのです。

日本的插花不仅是色泽鲜艳的鲜花,形状美丽的树枝树干,还有树叶苔藓,所有的自然植物都统称为花来鉴赏。然后用剪子弄弄长短,修修叶形,用手加些弯度来表现自然的美和心情。

自然に咲いている花もとても美しいもので、生きている命の輝きを感じます。ですが、生け花は、そこから命をいったん断ち切って、人の美意識や考え方というフィルターを通して、自然ではあり得ない美を構築していくことだと思っています。だからこそ、生け花をすることは、非常に責任の重いことと思います。自然のまま切らないほうがきれいだった、となっていけません。自然では感じなかった生命観を強調して表に引き出さないと、花の命を断ち切って、生け花をしている意味がなくなります。

自然开放的话非常美丽,可以感觉到闪耀着的生命。但是插花是暂且剪断花的生命,通过人的审美意识和想法之类的过滤器来构建自然中所得不到的美。正因为如此,插花的责任非常重大。不能变成保持自然原样、不进行修剪的花卉比插花更好看。如果不表现出自然感觉不到的美的话,那就失去了剪断花的生命去插花的意义了。

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また、生け花にはいろんな約束事があります。例えば、生けた総本数は奇数です。木は後ろ、草は手前に生けます。奇数は割り切れなく、バランスもとりにくいです。昔の人は逆に「これから伸びていく、将来性のある形」ととらえました。つまり、奇数にすることで植物の命が成長していく様を託したわけです。また、木は何年もかかって成長し、寿命が長く、過去や古いものを表しています。草は1年で生まれて枯れていき、現在や新しい者を表しています。つまり、木は遠さ、草は近さも表します。木と草をいけることで、古今遠近が一つの形として表れてきます。

插花还有很多讲究。比如插花的根数是奇数。树木要在后面,草要在前面。奇数除不尽,而且也很难掌握平衡。可是相反,以前的人认为“这是今后可以伸长、将来会很好的形状”。也就是说,奇数的插花寄托着对植物生命的成长的期待。还有树木要经过很多年才可以长成,寿命长,代表着过去和旧的事物。草在一年的时间发芽枯萎,代表着现在和新的事物。也就是说,树木代表着远,草代表着近。插树和草是古今远近形态的表现。 

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