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中日对照阅读: 日语的语感力

时间:2010-12-27 13:12:28  来源:本站原创  作者:Miyo

日本語の「わんわん」と「にゃあ」は、海を渡ると「バウワウ」「ミュウ」になる。母語にどっぷりつかっていると、犬や猫の鳴き声は画一的になりがちだ。実際には一匹として同じ声はないし、聞こえ方も人それぞれだろう▼

日语的“わんわん(wanwan,狗叫声)”和“にゃあ(nyaa,猫叫声)”到了大洋彼岸就成了“bowwow”“mew”(英语)。如果完全沉浸在母语中,则狗和猫的叫声容易千篇一律。实际上即使是一只,也没有相同的叫声,而且听感也因人而异吧。

谷川俊太郎さんに「おならうた」という愉快な詩がある。〈いもくって ぶ/くりくって ぼ/すかして へ/ごめんよ ば/おふろで ぽ/こっそり す/あわてて ぷ/ふたりで ぴょ〉。豊かな「音色」は、詩人が母語の常識から解き放たれ、心の耳で遊んだ産物だ▼

谷川俊太郎先生有一首有趣的诗:《屁歌》。“吃了红薯,bu/吃了栗子,bo/空着肚子,he/对不起*,ba/在澡堂,po/偷偷地,su/慌慌张张,pu/两个人,pyo。”丰富的“音色”,是诗人从母语的常识中解放出来、用心之耳玩味的产物。

*“ごめんよ ば”不知是否是在人家里一直憋着、再见时如释重负的那种低沉的屁。:)

擬音語に限らず、何かを伝える前には言葉を選ぶ作業がある。とりわけプロポーズや面接のような勝負時、私たちは知る限りの言い回しから、思いと常識が折り合う言葉を絞り込む▼

不光拟声词是这样,在表达某事之前有选择言辞的工作。尤其是在求婚或面试这种成败在此一举的时刻,我们从所能知道的措辞中,冥搜思想和常识互相迁就的言辞。

適切な表現にたどりつくには、意味と語感の二つの道があるという。意味には字引という案内人がいるが、語感には道しるべもなかった。近刊『日本語 語感の辞典』(岩波書店)の著者中村明さんが、先頃の読書面で出版を思い立った理由をそのように語っていた▼

寻找适当的表达方式,据说有意义和语感两条道路。意义有词典这个向导,而语感则无路标可循。最近出版的《日语语感辞典》(岩波书店)的著者中村明先生在前些日子的读书版如此阐述了决定出版的理由。

「言葉を選ぶ時に多くの表現が思い浮かぶのは、ものの見方が細やかということです。ものの見方を磨かないと、表現は増えません」。中村さんの指摘は、言葉を生業(なりわい)とする者すべてに重い▼

“选择言辞时浮想起许多表达方式,说明观察事物很细致。如果不磨练观察能力,则表达方式就不会增加。”中村先生的见解对以言辞为业的所有人都很重要。

己の仕事は棚に上げて、政治家の「語勘」を問いたい。弁舌のプロらしからぬ「暴力装置」「仮免許」「甘受」。思いが口をついたにせよ、いくらでも言いようがあった。これしきの語感力では、誰のどのおならも〈ぶ〉でしかない。磨くべし。

自己的工作先搁在一边,想问问政治家的“語勘(对语言的直觉。与“语感”同音)”。不像是从(政治家这种)专业辩士口中说出的“暴力装置”“仮免許(临时驾照)”“甘受”。虽说言为心声,但是说法多的是呀。以这种语感力,谁的哪个屁都只能是“bu”了。尔其勉之!

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