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东野圭吾推理经典:《白夜行》第八章第③回

时间:2012-02-10 09:08:26  来源:可可日语  作者:Anna
  

 
  「あの人が来てるんでしょう?」弘恵は眉をひそめた。「あの骸骨みたいな顔をした人」
 彼女の言葉に友彦は吹き出した。自分と同じ印象を弘恵が持っていたというのが、おかしかったのだ。そのことをいうと、彼女もひとしきり笑った。だがその後で、また少し顔を曇らせた。
「桐原さん、あの人とどんな話をしているのかな。大体あの人、何者なの? 友彦さんは何か知ってるの?」
「うんまあ、それについては、ゆっくり話をするよ」そういって友彦はコートの袖に腕を通した。一言で説明できる話ではなかった。
 店を出た後、友彦は弘恵と並んで、夜の舗道をゆっくり歩いた。まだ十二月はじめだが、街のあちらこちらにクリスマスを思わせる飾りがあった。イブはどこへ行こうか、と友彦は考えた。昨年は有名ホテルの中にあるフレンチレストランを予約した。しかし今年はまだこれといったアイデアが浮かばない。いずれにしても、今年も弘恵と一緒に過ごすことになるだろう。彼女と過ごす、三度目のクリスマスイブだ。
 友彦は弘恵とアルバイト先で知り合った。大学二年の時だ。アルバイト先というのは、安売りで有名な大型電器店だった。彼はそこで、パソコンやワープロの販売をしていた。当時は今以上に、その分野で詳しい知識を持っている者が少なかったので、友彦は重宝がられた。店頭での販売が業務内容のはずだったが、時にはサービスマン的なこともやらされた。
 そんなところでアルバイトすることになったのは、それまで手伝っていた桐原の『無限企画』が休業状態に陥ってしまったからだ。コンピュータゲームのブームに乗って、プログラムを販売する会社が林立しすぎたため、粗悪なソフトが出回った。その結果、消費者の信頼を裏切る形になってしまい、多くの会社がつぶれることになった。『無限企画』も、その波にのまれたといってよかった。
 だがこの休業を、今となっては友彦は感謝している。中嶋弘恵と知り合えるきっかけになったからだ。弘恵は友彦と同じフロアで、電話やファクスを売っていた。顔を合わせることも多く、そのうちに言葉を交わすようになった。最初のデートはアルバイトを始めてから一か月が経った頃だ。それからお互いを恋人と認識するようになるまで、長い時間はかからなかった。
 中嶋弘恵は美人ではなかった。目は一重だし、鼻も高いほうではない。丸顔で小柄、そして、少女のようにというより少年のようにと表現したほうがいいくらい痩せていた。しかし彼女には、他人を安心させるような柔らかい雰囲気があった。友彦は彼女と一緒にいると、その時々に抱えている悩みを忘れることができた。そして彼女と別れた後も、その悩みの大半を、大したことではないと思えるようになるのだった。
 しかしそんな弘恵を、友彦は一度だけ苦しめたことがある。二年ほど前のことだ。妊娠させてしまい、結局堕胎手術を受けさせることになってしまったのだ。
 それでも弘恵が泣いたのは、手術を終えた夜だけだった。その夜、彼女はどうしても一人になりたくないといって、一緒にホテルに泊まることを望んだ。彼女は一人でアパートを借り、昼間は働き、夜は専門学校に行くという生活を送っていた。友彦はもちろん彼女の望みをきいてやった。ベッドの中で、手術を受けたばかりの彼女の身体を、そっと抱きしめた。彼女は震えながら、涙を流した。そしてそれ以後、彼女がこの頃のことを思い出して泣くようなことは決してなかった。
 友彦は財布の中に、透明の小さな筒を入れている。煙草を半分に切った程度の大きさのものだ。一方から覗くと、赤い二重丸が底に見える。弘恵の妊娠を確認する時に使った、妊娠判定器具だった。二重丸は陽性の印なのだ。もっとも、友彦が持っている筒の底に見える二重丸は、あとから彼が赤い油性ペンで描いたものだった。実際に使用した際には、弘恵の尿を入れた筒の底に赤い沈殿物が生じ、それが判定の印となった。
 友彦がそんなものを後生大事に持っているのは、自らを戒めるためにほかならなかった。もう二度と弘恵にあんな辛い思いをさせたくなかった。だから財布にはコンドームも入れてある。
 その『お守り』を、友彦は一度だけ桐原に貸したことがある。自戒をこめた台詞を口にしながら見せていると、桐原のほうから、ちょっと貸してくれないかといってきたのだ。
 何に使うんだと友彦が訊くと、見せたい人間がいるんだよと桐原は答えた。そしてそれ以上詳しいことはいわなかった。ただ、それを返す時、桐原は意味ありげに薄く笑いながらこういった。
「男というのは弱いな。こと話が妊娠ということになると、手も足も出えへん」
 彼があの『お守り』を何に使ったのか、友彦は今も知らなかった。
 
  「あの人が来てるんでしょう?」弘恵は眉をひそめた。「あの骸骨みたいな顔をした人」
 彼女の言葉に友彦は吹き出した。自分と同じ印象を弘恵が持っていたというのが、おかしかったのだ。そのことをいうと、彼女もひとしきり笑った。だがその後で、また少し顔を曇らせた。
「桐原さん、あの人とどんな話をしているのかな。大体あの人、何者なの? 友彦さんは何か知ってるの?」
「うんまあ、それについては、ゆっくり話をするよ」そういって友彦はコートの袖に腕を通した。一言で説明できる話ではなかった。
 店を出た後、友彦は弘恵と並んで、夜の舗道をゆっくり歩いた。まだ十二月はじめだが、街のあちらこちらにクリスマスを思わせる飾りがあった。イブはどこへ行こうか、と友彦は考えた。昨年は有名ホテルの中にあるフレンチレストランを予約した。しかし今年はまだこれといったアイデアが浮かばない。いずれにしても、今年も弘恵と一緒に過ごすことになるだろう。彼女と過ごす、三度目のクリスマスイブだ。
 友彦は弘恵とアルバイト先で知り合った。大学二年の時だ。アルバイト先というのは、安売りで有名な大型電器店だった。彼はそこで、パソコンやワープロの販売をしていた。当時は今以上に、その分野で詳しい知識を持っている者が少なかったので、友彦は重宝がられた。店頭での販売が業務内容のはずだったが、時にはサービスマン的なこともやらされた。
 そんなところでアルバイトすることになったのは、それまで手伝っていた桐原の『無限企画』が休業状態に陥ってしまったからだ。コンピュータゲームのブームに乗って、プログラムを販売する会社が林立しすぎたため、粗悪なソフトが出回った。その結果、消費者の信頼を裏切る形になってしまい、多くの会社がつぶれることになった。『無限企画』も、その波にのまれたといってよかった。
 だがこの休業を、今となっては友彦は感謝している。中嶋弘恵と知り合えるきっかけになったからだ。弘恵は友彦と同じフロアで、電話やファクスを売っていた。顔を合わせることも多く、そのうちに言葉を交わすようになった。最初のデートはアルバイトを始めてから一か月が経った頃だ。それからお互いを恋人と認識するようになるまで、長い時間はかからなかった。
 中嶋弘恵は美人ではなかった。目は一重だし、鼻も高いほうではない。丸顔で小柄、そして、少女のようにというより少年のようにと表現したほうがいいくらい痩せていた。しかし彼女には、他人を安心させるような柔らかい雰囲気があった。友彦は彼女と一緒にいると、その時々に抱えている悩みを忘れることができた。そして彼女と別れた後も、その悩みの大半を、大したことではないと思えるようになるのだった。
 しかしそんな弘恵を、友彦は一度だけ苦しめたことがある。二年ほど前のことだ。妊娠させてしまい、結局堕胎手術を受けさせることになってしまったのだ。
 それでも弘恵が泣いたのは、手術を終えた夜だけだった。その夜、彼女はどうしても一人になりたくないといって、一緒にホテルに泊まることを望んだ。彼女は一人でアパートを借り、昼間は働き、夜は専門学校に行くという生活を送っていた。友彦はもちろん彼女の望みをきいてやった。ベッドの中で、手術を受けたばかりの彼女の身体を、そっと抱きしめた。彼女は震えながら、涙を流した。そしてそれ以後、彼女がこの頃のことを思い出して泣くようなことは決してなかった。
 友彦は財布の中に、透明の小さな筒を入れている。煙草を半分に切った程度の大きさのものだ。一方から覗くと、赤い二重丸が底に見える。弘恵の妊娠を確認する時に使った、妊娠判定器具だった。二重丸は陽性の印なのだ。もっとも、友彦が持っている筒の底に見える二重丸は、あとから彼が赤い油性ペンで描いたものだった。実際に使用した際には、弘恵の尿を入れた筒の底に赤い沈殿物が生じ、それが判定の印となった。
 友彦がそんなものを後生大事に持っているのは、自らを戒めるためにほかならなかった。もう二度と弘恵にあんな辛い思いをさせたくなかった。だから財布にはコンドームも入れてある。
 その『お守り』を、友彦は一度だけ桐原に貸したことがある。自戒をこめた台詞を口にしながら見せていると、桐原のほうから、ちょっと貸してくれないかといってきたのだ。
 何に使うんだと友彦が訊くと、見せたい人間がいるんだよと桐原は答えた。そしてそれ以上詳しいことはいわなかった。ただ、それを返す時、桐原は意味ありげに薄く笑いながらこういった。
「男というのは弱いな。こと話が妊娠ということになると、手も足も出えへん」
 彼があの『お守り』を何に使ったのか、友彦は今も知らなかった。
 「あの人が来てるんでしょう?」弘恵は眉をひそめた。「あの骸骨みたいな顔をした人」
 彼女の言葉に友彦は吹き出した。自分と同じ印象を弘恵が持っていたというのが、おかしかったのだ。そのことをいうと、彼女もひとしきり笑った。だがその後で、また少し顔を曇らせた。
「桐原さん、あの人とどんな話をしているのかな。大体あの人、何者なの? 友彦さんは何か知ってるの?」
「うんまあ、それについては、ゆっくり話をするよ」そういって友彦はコートの袖に腕を通した。一言で説明できる話ではなかった。
 店を出た後、友彦は弘恵と並んで、夜の舗道をゆっくり歩いた。まだ十二月はじめだが、街のあちらこちらにクリスマスを思わせる飾りがあった。イブはどこへ行こうか、と友彦は考えた。昨年は有名ホテルの中にあるフレンチレストランを予約した。しかし今年はまだこれといったアイデアが浮かばない。いずれにしても、今年も弘恵と一緒に過ごすことになるだろう。彼女と過ごす、三度目のクリスマスイブだ。
 友彦は弘恵とアルバイト先で知り合った。大学二年の時だ。アルバイト先というのは、安売りで有名な大型電器店だった。彼はそこで、パソコンやワープロの販売をしていた。当時は今以上に、その分野で詳しい知識を持っている者が少なかったので、友彦は重宝がられた。店頭での販売が業務内容のはずだったが、時にはサービスマン的なこともやらされた。
 そんなところでアルバイトすることになったのは、それまで手伝っていた桐原の『無限企画』が休業状態に陥ってしまったからだ。コンピュータゲームのブームに乗って、プログラムを販売する会社が林立しすぎたため、粗悪なソフトが出回った。その結果、消費者の信頼を裏切る形になってしまい、多くの会社がつぶれることになった。『無限企画』も、その波にのまれたといってよかった。
 だがこの休業を、今となっては友彦は感謝している。中嶋弘恵と知り合えるきっかけになったからだ。弘恵は友彦と同じフロアで、電話やファクスを売っていた。顔を合わせることも多く、そのうちに言葉を交わすようになった。最初のデートはアルバイトを始めてから一か月が経った頃だ。それからお互いを恋人と認識するようになるまで、長い時間はかからなかった。
 中嶋弘恵は美人ではなかった。目は一重だし、鼻も高いほうではない。丸顔で小柄、そして、少女のようにというより少年のようにと表現したほうがいいくらい痩せていた。しかし彼女には、他人を安心させるような柔らかい雰囲気があった。友彦は彼女と一緒にいると、その時々に抱えている悩みを忘れることができた。そして彼女と別れた後も、その悩みの大半を、大したことではないと思えるようになるのだった。
 しかしそんな弘恵を、友彦は一度だけ苦しめたことがある。二年ほど前のことだ。妊娠させてしまい、結局堕胎手術を受けさせることになってしまったのだ。
 それでも弘恵が泣いたのは、手術を終えた夜だけだった。その夜、彼女はどうしても一人になりたくないといって、一緒にホテルに泊まることを望んだ。彼女は一人でアパートを借り、昼間は働き、夜は専門学校に行くという生活を送っていた。友彦はもちろん彼女の望みをきいてやった。ベッドの中で、手術を受けたばかりの彼女の身体を、そっと抱きしめた。彼女は震えながら、涙を流した。そしてそれ以後、彼女がこの頃のことを思い出して泣くようなことは決してなかった。
 友彦は財布の中に、透明の小さな筒を入れている。煙草を半分に切った程度の大きさのものだ。一方から覗くと、赤い二重丸が底に見える。弘恵の妊娠を確認する時に使った、妊娠判定器具だった。二重丸は陽性の印なのだ。もっとも、友彦が持っている筒の底に見える二重丸は、あとから彼が赤い油性ペンで描いたものだった。実際に使用した際には、弘恵の尿を入れた筒の底に赤い沈殿物が生じ、それが判定の印となった。
 友彦がそんなものを後生大事に持っているのは、自らを戒めるためにほかならなかった。もう二度と弘恵にあんな辛い思いをさせたくなかった。だから財布にはコンドームも入れてある。
 その『お守り』を、友彦は一度だけ桐原に貸したことがある。自戒をこめた台詞を口にしながら見せていると、桐原のほうから、ちょっと貸してくれないかといってきたのだ。
 何に使うんだと友彦が訊くと、見せたい人間がいるんだよと桐原は答えた。そしてそれ以上詳しいことはいわなかった。ただ、それを返す時、桐原は意味ありげに薄く笑いながらこういった。
「男というのは弱いな。こと話が妊娠ということになると、手も足も出えへん」
 彼があの『お守り』を何に使ったのか、友彦は今も知らなかった。
「あの人が来てるんでしょう?」弘恵は眉をひそめた。「あの骸骨みたいな顔をした人」
 彼女の言葉に友彦は吹き出した。自分と同じ印象を弘恵が持っていたというのが、おかしかったのだ。そのことをいうと、彼女もひとしきり笑った。だがその後で、また少し顔を曇らせた。
「桐原さん、あの人とどんな話をしているのかな。大体あの人、何者なの? 友彦さんは何か知ってるの?」
「うんまあ、それについては、ゆっくり話をするよ」そういって友彦はコートの袖に腕を通した。一言で説明できる話ではなかった。
 店を出た後、友彦は弘恵と並んで、夜の舗道をゆっくり歩いた。まだ十二月はじめだが、街のあちらこちらにクリスマスを思わせる飾りがあった。イブはどこへ行こうか、と友彦は考えた。昨年は有名ホテルの中にあるフレンチレストランを予約した。しかし今年はまだこれといったアイデアが浮かばない。いずれにしても、今年も弘恵と一緒に過ごすことになるだろう。彼女と過ごす、三度目のクリスマスイブだ。
 友彦は弘恵とアルバイト先で知り合った。大学二年の時だ。アルバイト先というのは、安売りで有名な大型電器店だった。彼はそこで、パソコンやワープロの販売をしていた。当時は今以上に、その分野で詳しい知識を持っている者が少なかったので、友彦は重宝がられた。店頭での販売が業務内容のはずだったが、時にはサービスマン的なこともやらされた。
 そんなところでアルバイトすることになったのは、それまで手伝っていた桐原の『無限企画』が休業状態に陥ってしまったからだ。コンピュータゲームのブームに乗って、プログラムを販売する会社が林立しすぎたため、粗悪なソフトが出回った。その結果、消費者の信頼を裏切る形になってしまい、多くの会社がつぶれることになった。『無限企画』も、その波にのまれたといってよかった。
 だがこの休業を、今となっては友彦は感謝している。中嶋弘恵と知り合えるきっかけになったからだ。弘恵は友彦と同じフロアで、電話やファクスを売っていた。顔を合わせることも多く、そのうちに言葉を交わすようになった。最初のデートはアルバイトを始めてから一か月が経った頃だ。それからお互いを恋人と認識するようになるまで、長い時間はかからなかった。
 中嶋弘恵は美人ではなかった。目は一重だし、鼻も高いほうではない。丸顔で小柄、そして、少女のようにというより少年のようにと表現したほうがいいくらい痩せていた。しかし彼女には、他人を安心させるような柔らかい雰囲気があった。友彦は彼女と一緒にいると、その時々に抱えている悩みを忘れることができた。そして彼女と別れた後も、その悩みの大半を、大したことではないと思えるようになるのだった。
 しかしそんな弘恵を、友彦は一度だけ苦しめたことがある。二年ほど前のことだ。妊娠させてしまい、結局堕胎手術を受けさせることになってしまったのだ。
 それでも弘恵が泣いたのは、手術を終えた夜だけだった。その夜、彼女はどうしても一人になりたくないといって、一緒にホテルに泊まることを望んだ。彼女は一人でアパートを借り、昼間は働き、夜は専門学校に行くという生活を送っていた。友彦はもちろん彼女の望みをきいてやった。ベッドの中で、手術を受けたばかりの彼女の身体を、そっと抱きしめた。彼女は震えながら、涙を流した。そしてそれ以後、彼女がこの頃のことを思い出して泣くようなことは決してなかった。
 友彦は財布の中に、透明の小さな筒を入れている。煙草を半分に切った程度の大きさのものだ。一方から覗くと、赤い二重丸が底に見える。弘恵の妊娠を確認する時に使った、妊娠判定器具だった。二重丸は陽性の印なのだ。もっとも、友彦が持っている筒の底に見える二重丸は、あとから彼が赤い油性ペンで描いたものだった。実際に使用した際には、弘恵の尿を入れた筒の底に赤い沈殿物が生じ、それが判定の印となった。
 友彦がそんなものを後生大事に持っているのは、自らを戒めるためにほかならなかった。もう二度と弘恵にあんな辛い思いをさせたくなかった。だから財布にはコンドームも入れてある。
 その『お守り』を、友彦は一度だけ桐原に貸したことがある。自戒をこめた台詞を口にしながら見せていると、桐原のほうから、ちょっと貸してくれないかといってきたのだ。
 何に使うんだと友彦が訊くと、見せたい人間がいるんだよと桐原は答えた。そしてそれ以上詳しいことはいわなかった。ただ、それを返す時、桐原は意味ありげに薄く笑いながらこういった。
「男というのは弱いな。こと話が妊娠ということになると、手も足も出えへん」
 彼があの『お守り』を何に使ったのか、友彦は今も知らなかった。
 「あの人が来てるんでしょう?」弘恵は眉をひそめた。「あの骸骨みたいな顔をした人」
 彼女の言葉に友彦は吹き出した。自分と同じ印象を弘恵が持っていたというのが、おかしかったのだ。そのことをいうと、彼女もひとしきり笑った。だがその後で、また少し顔を曇らせた。
「桐原さん、あの人とどんな話をしているのかな。大体あの人、何者なの? 友彦さんは何か知ってるの?」
「うんまあ、それについては、ゆっくり話をするよ」そういって友彦はコートの袖に腕を通した。一言で説明できる話ではなかった。
 店を出た後、友彦は弘恵と並んで、夜の舗道をゆっくり歩いた。まだ十二月はじめだが、街のあちらこちらにクリスマスを思わせる飾りがあった。イブはどこへ行こうか、と友彦は考えた。昨年は有名ホテルの中にあるフレンチレストランを予約した。しかし今年はまだこれといったアイデアが浮かばない。いずれにしても、今年も弘恵と一緒に過ごすことになるだろう。彼女と過ごす、三度目のクリスマスイブだ。
 友彦は弘恵とアルバイト先で知り合った。大学二年の時だ。アルバイト先というのは、安売りで有名な大型電器店だった。彼はそこで、パソコンやワープロの販売をしていた。当時は今以上に、その分野で詳しい知識を持っている者が少なかったので、友彦は重宝がられた。店頭での販売が業務内容のはずだったが、時にはサービスマン的なこともやらされた。
 そんなところでアルバイトすることになったのは、それまで手伝っていた桐原の『無限企画』が休業状態に陥ってしまったからだ。コンピュータゲームのブームに乗って、プログラムを販売する会社が林立しすぎたため、粗悪なソフトが出回った。その結果、消費者の信頼を裏切る形になってしまい、多くの会社がつぶれることになった。『無限企画』も、その波にのまれたといってよかった。
 だがこの休業を、今となっては友彦は感謝している。中嶋弘恵と知り合えるきっかけになったからだ。弘恵は友彦と同じフロアで、電話やファクスを売っていた。顔を合わせることも多く、そのうちに言葉を交わすようになった。最初のデートはアルバイトを始めてから一か月が経った頃だ。それからお互いを恋人と認識するようになるまで、長い時間はかからなかった。
 中嶋弘恵は美人ではなかった。目は一重だし、鼻も高いほうではない。丸顔で小柄、そして、少女のようにというより少年のようにと表現したほうがいいくらい痩せていた。しかし彼女には、他人を安心させるような柔らかい雰囲気があった。友彦は彼女と一緒にいると、その時々に抱えている悩みを忘れることができた。そして彼女と別れた後も、その悩みの大半を、大したことではないと思えるようになるのだった。
 しかしそんな弘恵を、友彦は一度だけ苦しめたことがある。二年ほど前のことだ。妊娠させてしまい、結局堕胎手術を受けさせることになってしまったのだ。
 それでも弘恵が泣いたのは、手術を終えた夜だけだった。その夜、彼女はどうしても一人になりたくないといって、一緒にホテルに泊まることを望んだ。彼女は一人でアパートを借り、昼間は働き、夜は専門学校に行くという生活を送っていた。友彦はもちろん彼女の望みをきいてやった。ベッドの中で、手術を受けたばかりの彼女の身体を、そっと抱きしめた。彼女は震えながら、涙を流した。そしてそれ以後、彼女がこの頃のことを思い出して泣くようなことは決してなかった。
 友彦は財布の中に、透明の小さな筒を入れている。煙草を半分に切った程度の大きさのものだ。一方から覗くと、赤い二重丸が底に見える。弘恵の妊娠を確認する時に使った、妊娠判定器具だった。二重丸は陽性の印なのだ。もっとも、友彦が持っている筒の底に見える二重丸は、あとから彼が赤い油性ペンで描いたものだった。実際に使用した際には、弘恵の尿を入れた筒の底に赤い沈殿物が生じ、それが判定の印となった。
 友彦がそんなものを後生大事に持っているのは、自らを戒めるためにほかならなかった。もう二度と弘恵にあんな辛い思いをさせたくなかった。だから財布にはコンドームも入れてある。
 その『お守り』を、友彦は一度だけ桐原に貸したことがある。自戒をこめた台詞を口にしながら見せていると、桐原のほうから、ちょっと貸してくれないかといってきたのだ。
 何に使うんだと友彦が訊くと、見せたい人間がいるんだよと桐原は答えた。そしてそれ以上詳しいことはいわなかった。ただ、それを返す時、桐原は意味ありげに薄く笑いながらこういった。
「男というのは弱いな。こと話が妊娠ということになると、手も足も出えへん」
 彼があの『お守り』を何に使ったのか、友彦は今も知らなかった。
  

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