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松本沙林毒气事件受害者去世

时间:2008-08-12 18:37:20  来源:本站原创  作者:alex

結婚して子どもがいる女性にとって、40代後半から60歳前後は務めも望みも多い充実期だろう。子育ては仕上げに入り、家計と格闘しながらも余暇は増えていく。夫と老後を語り、孫に癒やされる人もいよう。人生は盛りの夏から、実りの秋へと移る。

对于已经结婚生子的女性来说,四十来岁到六十出头应该是她们责任和抱负十分高涨的时期。(步入这个阶段)孩子也长大成人了,在为生活打拼的同时业余时间也渐渐多了起来。很多人都是和老伴唠唠晚年生活,同孙子享受天伦之乐。人生从绚烂的盛夏走进了丰收的金秋。

その輝くべき14年を病床で過ごし、いや闘い、河野澄子さんが亡くなった。94年6月の松本サリン事件で倒れて以来、うらみや怒りの一言もないままにだ。チューブにつながれて還暦を迎えることで、宗教をまとったテロの狂気を告発し続けた。

本该辉煌的14年却在病床上度过,与病魔艰辛斗争的河野澄子走到了人生的终点。因94年6月的松本沙林事件病倒以来,未曾说过一句怨恨和愤怒的话。身上插着管子迎来了花甲,这一切都在对披着宗教外衣的恐怖主义的丧心病狂无声控诉着。

異変を真っ先に通報した夫の義行さん(58)は、妻の容体を気遣ういとまもなく、警察とマスコミに容疑者扱いされた。報じる側に身を置く者として、こうべを垂れるほかない。

河野澄子的病情变化最早是由她丈夫——河野义行(58岁)通知大夫的,在担心妻子病情不久却被警察和媒体当成了嫌疑犯。作为置身报道漩涡的人,只能是垂首不语。

義行さんは報道被害についての講演や著述の傍ら、14年を妻の介護に費やした。ある日、家族で行った鎌倉の話をしながらマッサージをしていたら、澄子さんが涙を流した。気持ちの高ぶりか、ただの生理反応か。「私は、感情だと思うことにした」(『妻よ!』潮出版社)。

义行先生一边就报道不公展开讲演和写书,一边精心照顾着妻子十四年如一日。有一天,家里人聊起有关镰仓的话题和如何享受按摩时,澄子流下了眼泪。不知道这是心情激动还是单纯的生理反应。“我想这是感情使然”(《妻子啊!》潮出版社)

事件当時、年子の1男2女は高2から中3だった。何年かで訪れる、夫婦だけの熟した時に備えてだろう。澄子さんは木彫りや書を習い始めていた。海外旅行をするならベネチアがいい、とも。

(毒气)事件发生的时候,年龄各相差一岁的三个孩子正在上学,老大男孩儿读高二、大女儿上高一、小女儿在初三学习。为几年后来临的只剩夫妻两人的生活做准备吧。澄子开始学习木雕和书法。她还说要是能出国旅游首选威尼斯。

改めて、人を危(あや)めることの罪深さを思う。あったはずの歳月が、幾多の喜怒哀楽もろとも失われる。「好きな音楽を流し、3日間は家族だけで送りたい」と夫。きょう立秋の蝉(せみ)時雨も加わり、人生の夏から先を奪われた女性が安らぎの地に赴く。

又一次让我感到害人命不可活啊。本应拥有喜怒哀乐的岁月,就这样失去了。丈夫说“治丧的三天会播放她喜欢的音乐,并且只想让家人为她送行”。伴着今日立秋的蝉鸣和秋雨,就在人生最辉煌的时候被夺走生命的女性一路走好。

解说:
松本サリン事件:
松本サリン事件(まつもとサリンじけん)は、1994年に長野県松本市で、猛毒のサリンが散布され、死者8人·重軽傷者660人を出した事件。戦争状態にない国で一般市民に対して初めて化学兵器が使用されたテロ事件として知られる。また、無実の人間が犯人扱いをされた冤罪·報道被害事件としても知られている。

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