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中日对照阅读:名牌大学的大门只对富人敞开?

时间:2008-09-29 11:22:38  来源:本站原创  作者:maggie

  人人都有上好大学的权利

  ◆誰にもいい大学に入る権利はある

  自由撰稿人周之南:经过发言人这么一“捋”,问题就清楚了,原来“上学贵”的问题是不存在的,主要是太多的人因为缺少理性而自找烦恼。而且,清华、北大原本就不是办给平民大众的,这样优质的教育资源也只能由富人来享用。但是,我们有几个问题一时还是无法弄明白,想求教于发言人。

  〇フリーライター・周之南氏

  報道官がこうも“たくし上げる”言い方をしたので、問題が明らかになった。もともと「学校は高い」といった問題は存在せず、主に大半の人は理性に欠けているから自分で悩んでいる。しかも、清華大や北京大はもともと庶民のために設立されたのではなく、こうした優れた教育資源も富裕層しか受けられない。だが、すぐにははっきりできない問題が幾つかあるので、報道官に教えを請いたい。

  其一,北大、清华是花了谁的钱办起来的?为什么北大、清华成了优质教育资源,而其他高校没有?我们国家的教育投入本来就十分有限,在捉襟见肘的情况下,教育发展不是基础教育优先而是高等教育优先,高等教育中也是那些名校优先获得财政投入。这些钱是全体人民的钱,也就是说,这些有限的、优质的教育资源,应当由人民,而不是独独由富人去享用。

  まず第1は、北京大や清華大は誰のお金を使って設立したのか。北京大や清華大は優れた教育資源になったのに、その他の大学がそうでないのはどうしてか。我が国の教育への資金投入は本来かなり限られており、困難な状況にあっても、教育の発展は基礎教育優先ではなく、高等教育優先で、高等教育の中でもこうした有名校が優先的に財政投入を受けてきた。こうしたお金は全人民のお金であり、つまり、こうした限られた、優れた教育資源は人民が受けるべきで、富裕層だけが受けるものではない。

  其二,我们这个社会人才选拔的标准到底是什么?是经济实力还是智力实力?自中国古代实行科举取士以来,智力实力一直是遴选人才的不二标准,并且被公认为最为公平的标准。那么,今天搞的什么钱财标准,到底是市场经济的胜利,还是公平意识的倒退?在经济实力为上的标准之下,富人势必垄断优质教育资源,穷者必然丧失通过教育改变命运的机遇,如果贫富差别加剧导致社会和谐丧失,那么富人垄断了清华、北大又有什么意义呢?

  第2は、我々のこの社会の人材選抜の基準は一体、何なのか。経済力か、それとも知力と実力か。中国古代に科挙が実施されて以来、知力と実力がずっと人材を選抜する際の唯一無二の基準とされ、しかも最も公平な基準だと広く認められている。では、今日なした金銭財物とやらの基準は、結局は市場経済の勝利なのか、それとも公平な意識の後退なのか。経済力を至上とする基準の下では、いきおい富裕層が教育資源を独占し、貧困層は教育を通じて運命を変えるチャンスを必ず失ってしまう。貧富の格差拡大が社会の調和を失わせるとすれば、富裕層が清華大や北京大を独占して何の意義があるのか。

  其三,这番话为什么如此耳熟?由高等教育是消费推导出来的“教育消费论”,很难叫人不想起“教育产业化”。教育部不是说自己反对“教育产业化”的提法吗?那“教育消费论”又从何谈起?有钱的就买1万元的衣服,没钱的就买100元的衣服。有钱的就买我造的天价楼房住富人区,没钱的就请去租房。一个只为富人办大学,一个只为富人造豪宅,两句话多么相像!问题是,造房子的老板可以在商言商,政府官员应以人民利益为上,为什么说出话来与生意人一样的口气?

  第3は、こうした発言をよく耳にするが、それはどうしてか。高等教育は消費によって推進された、とする“教育消費論”から、すぐに“教育産業論”が思い浮かぶ。教育部は、自らは“教育産業論”に反対するとの言い方をしているではないか。では“教育消費論”については、何から語ればいいか。金がある者は1万元の洋服を買い、金のない者は100元の洋服を買う。金のある者は、私の造った破格の値段の建物を購入して富裕層区に住み、金のない者は部屋を借りる。富裕層のためだけに大学を設立し、富裕層のためだけに豪邸を造る、この2句は何と似ていることか。問題は、建物を造る社長が商売の話をするのは結構だが、政府の幹部は人民の利益を至上にすべきであり、話をすると、どうして商売人と同じ様な口調になるのか、ということだ。

  第14届全国人大代表温俊义:造成“上学贵”的原因很多,也不是一下子就能解决的,但寻找解决措施,不能从“逛街买衣”一样的市场化思路出发。非义务阶段的教育也应该体现公平和负担得起的原则,不应该让百姓因为经济原因而失去接受教育的机会。

  〇第14期全国人民代表大会代表・温俊義氏

  「学校が高い」原因はいろいろあって、一気に解決できるものではない。だが、解決する措置を模索すべきで、「街に出て洋服を買う」といったような市場化の考え方に立ってはならない。非義務教育段階の教育も公平性と負担できるという原則を具体的に反映させるべきであり、庶民に経済的原因から教育を受けるチャンスを失わせてはならない。

  北京师范大学教育学院教授劳凯声:高等教育收费问题是无论这个费用有多低,还是会有一部分人负担不起。现在我们有一个“一费制”,这个意义就在于规范收费、制止再收费。据我所知,北京规定小学生一年交费不超过600元。600元对于相当多的家庭来说可以承受。对于极少数的家庭来说,六千、六万也都交得起。但是,600元对于某一些群体来说可能就是交不起的。我们把教育叫做市场是有条件的。因为别的市场的消费欲望和能力是联系在一起的。比如汽车市场,买得起汽车的人才会到汽车市场去。但教育不一样,2.3亿个学生,他们的消费能力是不一样的。这不是简单的问题。教育收费定得再低也会有人说交不起。所以,这里有一个对弱势群体的救助问题,需要建立一个救助体系。对于确实有才能,但家庭困难,支付不起学费的人,如何通过国家的帮助,使他能够成才。我觉得这是问题的关键。

  〇北京師範大学教育学院教授・労凱声氏

  高等教育の費用徴収の問題については、費用の高低にかかわらず、やはり負担できない人も一部にいるだろう。現在、「費用一律制」が実施されているが、それは費用の徴収を適正にし、再徴収しないことに意義がある。北京は、小学生が1年に払う費用を600元以下と規定している。600元は大半の家庭に受け入れられる額だ。例えば、自動車市場なら、自動車を買える人が市場に行くだろうが、教育はそうではない。費用をさらに引き下げても、払えない人がいるのだ。従って、そこには弱者救済の問題があり、支援システムを確立する必要がある。確かに才能はあるが、家庭が貧しいために学費を払えない人については、いかに国の援助を通じて有能な人材に育てるか。これが問題のカギだと考える。


 

 

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