东野圭吾作品精读:《白夜行》第四章 第二回
《白夜行》将无望却坚守的凄凉爱情和执著而缜密的冷静推理完美结合,被众多“东饭”视作东野圭吾作品中的无冕之王,被称为东野笔下“最绝望的念想、最悲恸的守望”,出版之后引起巨大轰动,使东野圭吾成为天王级作家。2006年,小说被改编成同名电视连续剧,一举囊括第48届日剧学院奖四项大奖。“只希望能手牵手在太阳下散步”,这句象征《白夜行》故事内核的绝望念想,有如一个美丽的幌子,随着无数凌乱、压抑、悲凉的事件片段如纪录片一样一一还原,最后一丝温情也被完全抛弃,万千读者在一曲救赎罪恶的爱情之中悲切动容……
正晴にアルバイトの話を持ってきたのは彼の母親だった。彼女の茶道の先生が、今度高校二年になる娘に数学を教えてくれる人を探していると聞き、息子を推薦することを思いついたのだ。その茶道の先生というのが唐沢礼子だ。
工学部の学生である正晴は、数学に関しては高校時代から多少自信を持っていた。実際この春まで、高校三年生の男子に数学と理科を教えていたのだ。だがその高校生が無事受験に成功したので、正晴としては次の家庭教師のくちを探す必要があった。母親の持ってきた話は、彼にとっても渡りに船だったわけだ。
現在正晴は母親に感謝している。その理由は、月々の収入を確保できたということだけではなかった。彼は唐沢家を訪れる毎週火曜日が楽しみでならなかった。
彼が籐の椅子に座って待っていると、礼子が麦茶を入れたガラスコップを盆に載せて戻ってきた。それを見て彼は少し安堵《あんど》した。前にこの部屋に入った時には、いきなり抹茶を出され、作法が全くわからず、大いに冷や汗をかいたものだった。
礼子は彼の向かい側に座り、どうぞといって麦茶をすすめた。それで正晴は遠慮なくコップに手を伸ばした。渇いた喉《のど》を冷えた麦茶が通過する感触が心地よかった。
「すみませんね。お待たせしちゃって。文化祭の準備なんか、適当に抜け出してくればいいと思うんですけど」礼子は再び詫《わ》びた。余程申し訳なく思っているようだ。
「いや、僕のことなら結構です。気にしないでください。それに友達同士の付き合いというのも大切ですから」正晴はいった。大人ぶったつもりだった。
「あの子もそういってました。それに文化祭の準備といっても、クラスでの催し物ではなくて、サークルのほうらしいんです。それで三年生の先輩が目を光らせているので、なかなか抜けられないといっておりました」
「ああ、なるほど」
雪穂が英会話クラブに入っているという話を、正晴は思い出していた。彼女が少し話すのを聞いたこともある。中学生の時から英会話塾に通っているというだけあって、見事なものだった。自分ではとても太刀打ちできないと舌を巻いた覚えがある。
「ふつうの高校なら、今の時期に三年生が文化祭に一所懸命になるということもないんでしょうけど、やっぱりああいう学校ですから、そういうのんびりしたこともできるんでしょうね。中道先生がお出になった高校なんかは、ものすごい進学校だから、三年生になったら文化祭どころではなかったんでしょう?」
礼子の言葉に、正晴は苦笑して掌を振った。
「僕たちの高校にも、文化祭で浮かれている三年生はいましたよ。受験勉強の息抜きだと思っていた連中も少なくなかったんじゃないですか。そういう僕なんかも、秋になっても受験勉強に身が入らず、ちょっとしたイベントがあるとすぐにはしゃいじゃうくちでした」
「あらそうなんですか。でもそれはきっと、先生が成績優秀でいらっしゃったから、余裕でそういうこともお出来になったんだと思いますよ」
「いや、そんなことはないんです。本当に」正晴は掌を振り続けた。
唐沢雪穂が通っているのは、清華女子学園という高校だった。そこの中等部から上がったと、正晴は聞いていた。
さらに彼女は、そのまま上の大学に進もうとしている。高校での成績が優秀であれば、面接試験だけで上の清華女子大学に入ることもできるのだ。
ただし希望する学科によっては、門が極端に狭くなるおそれもあった。雪穂は最も競争率が高いといわれる英文科を希望していた。確実に合格を勝ち取るには、学年でもトップグループに入っている必要があった。
雪穂は殆《ほとん》どの科目で優秀な成績をおさめていたが、数学だけは少し苦手にしていた。それで心配した礼子が、家庭教師を雇うことを思いついたというわけだ。
何とか高校三年の一学期までは、上位に食い込める成績をとらせてやってほしい――それが最初に話をした時、礼子が出した希望だった。三年生の一学期までの成績が、推薦入学の際の参考資料になるからだ。
「雪穂もねえ、もしあのまま公立の中学に行かせていたら、たぶん来年は受験勉強でもっと大変だったと思うんです。それを考えると、あの時に今の学校に入れておいて、本当によかったと思っているんですよ」麦茶の入ったガラスコップを両手で持ち、唐沢礼子はしみじみとした口調でいった。
「そうですね。受験なんか、しなくていいに越したことはありませんから」正晴はいった。彼自身が日頃から考えていることであり、これまでに家庭教師として教えた子供たちの親にもいってきたことだった。「だから、お子さんの小学校入学の段階から、すでにそういう私立の付属を選ぶ親御さんも、最近は増えてますよね」
礼子は真顔で頷《うなず》いた。
「ええ、それが一番いいと思います。姪《めい》や甥《おい》にも、そんなふうに話しているんです。子供の受験は、早い段階に一度きりというのが一番だって。後になればなるほど、いい学校に入るのが大変ですから」
「おっしゃるとおりです」正晴も頷いた。それからちょっと疑問に思うことがあって尋ねた。「雪穂さんは、小学校は公立ですよね。受験はされなかったのですか」
すると礼子は、考え込むように首を傾《かし》げ、少し黙り込んだ。何か迷っているように見えた。
やがて彼女は顔を上げた。
「もし私がそばにいたなら、そんなふうに進言したと思うんですけど、その頃は会ったこともありませんでしたからねえ。大阪というところは、東京なんかに比べて、子供を私立に進ませるという発想をする親は少ないんです。何より当時のあの子の境遇は、私立受験なんてことを希望しても、到底かなえてはもらえないようなものでしたし」
「あ、そうなんですか……」
微妙な問題に触れてしまったのかなと、正晴は少し後悔した。
雪穂が唐沢礼子の実子でないということは、最初にこの仕事を引き受けた時に聞いていた。だがどういう経緯で彼女が養女になったのかについては、全く知らされていなかった。これまで話題に上ったこともない。
「雪穂の本当の父親が、私の従弟《いとこ》にあたるんです。でもあの子が小さい頃に事故で亡くなりましてね、それで金銭的にもかなり苦労していたようです。奥さんが働きに出ておられたんですけど、女手一つで子育てまでするのは、大変なことですからね」
「その本当のおかあさんのほうは、どうされたんですか」
正晴が訊《き》くと、礼子は一層顔を曇らせた。
「その方も事故で亡くなったんです。たしか雪穂が六年生になって、すぐの頃だったと思います。五月……だったかしら」
「交通事故ですか」
「いえ、ガス中毒だったんですよ」
「ガス……」
「コンロに鍋をかけている途中で、うたた寝してしまったそうなんです。そのうちに鍋の中身がふきこぼれて火が消えてしまったらしいんですけど、それに気づかないで、結局そのまま中毒を起こしてしまったということでした。きっと、相当疲れていたんだろうと思いますよ」礼子は悲しそうに細い眉《まゆ》を寄せた。
ありそうなことだなと正晴は思った。最近では都市ガスが徐々に天然ガスに切り替えられてきているので、ガスそのもので一酸化炭素中毒に陥ることはないが、当時は今聞いた話とよく似た事故が頻繁に起きていた。
「特にかわいそうなのは、死んでいるのを見つけたのが雪穂だということでしてね。その時のショックがどんなふうだったかを考えると、胸が痛くなるようで……」礼子は沈痛な表情のまま、かぶりを振った。
「一人で見つけたんですか」
「いえ、部屋に鍵がかかっていたので、不動産屋の人に開けてもらったという話でした。だから、その人と一緒に見つけたんだと思います」
「へえ、不動産屋の人と」
その男も災難だったなと正晴は思った。死体を見つけた時には、さぞかし青ざめたことだろう。
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