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2级读解要点问题(三)

时间:2009-02-25 20:12:22  来源:本站原创  作者:maggie

問: この中学生の言いたいことを簡潔にまとめた文はどれです か。
1.父親の転勤でアメリカで勉強できるチャンスをつかんだのだから、これを上手に利用し
て、英語をきちんと勉強したい。それで日本語が変になっても、日本に帰れば、すぐに
日本語に慣れるので、そんなに心配していない。
2.アメリカに来てまだ二年しかたっていないので、授業で使われる英語がまったくわから
ない。それで補習校に通っている。そこで習う数学と日本語はやさしすぎるので困る。
できれば、英語も教えて欲しい。
3.日本人だから、日本語をきちんと書けなければいけないと思っている。また、日本の歴
史や小説も知らなければいけないと思っている。しかし、今はアメリカにいるのだから、
日本語や日本の歴史や小説などの知識が不十分でもしかたがない。
4.日本語と同じように英語を使えたらいいと思ってはいるが、正しい日本語の文章が書け
ないような日本人にはなりたくないし、日本の歴史や小説を知らない日本人にもなりた
くないと考えている。


私はいつもスーパーで買い物をしています。そして、スーパーで買ったものを使って料理を作ります。料理を作った後、いつも思うのですが、どうして、あんなにたくさんゴミが出るのでしょうか。中身よりゴミの方が多いのではないかと思えるぐらいです。
 例えば、肉や魚は発泡スチロールにのせられ、透明のラップで包まれています。それから、野菜もビニールの袋に入っています。卵もプラスチックの容器に入っています。豆腐、牛乳、ジュース、お菓子など、ゴミの出ないものはありません。ですから、一回料理をすると、ゴミ箱からゴミがあふれてしまいます。
 どうしてこんなに必要以上に品物を包んだり、パックに入れたりするのでしょうか。理由は簡単です。便利さです。一つ一つの品物が必要な分量に分けてあり、小さく、きれいに包んであれば、お客さんが買いやすいからです。私たちが品物に払う代金の中には、この便利さに対する代金も含まれているのです。
 もう一つの理由は、人件費です。肉や魚をすべてその場でお客さんの注文を聞いて、量って売っていたのでは、とても手間がかかってしまいます。また、大勢のお客さんを相手にするには、たくさんの人を雇わなければなりません。外の品物も同様です。初めから、お客さんが買いやすいように小さく分けてあれば、お客さんは自分で勝手に選びますから、人手が少なくてすみます。
 ところが、よくよく考えてみると、お客さんもスーパーもあまり得をしているとは思えません。不要なビニール、プラスチック、ラップ、パックなどは最終的にはゴミとして捨てられ、市役所の清掃車が集めて廃棄します。燃やしたり、海の埋め立て地に捨てたりします。その経費は私たちが払った税金でまかなわれます。しかも、ゴミを燃やした煙やガスに悩まされなければならないのです。結局、私たちは、一瞬の便利さのために、ずいぶん損をさせられているのです。
 
問:本文の要点を簡潔にまとめた文はどれですか。
1.スーパーでは一つ一つの商品がビニールやプラスチックなどで包装されていて、大変便
利なのだが、スーパーとしては、人件費もかかるし、包装に使ったビニールやプラスチ
ックがゴミとなるので、反対にスーパーを悩ますものとなっている。
2.スーパーではなるべくゴミを少なくするために、ビニール、発泡スチロール、プラスチ
ックなどの包装材料を使わないようにしている。したがって、人手がたくさん必要だ。
しかし、お客さんは自由に買い物ができるので、大変喜んでいる。
3.スーパーでは人件費を節約するために、品物を一つ一つ適当な量に分けて包装して売っ
ている。この方法はお客さんが自由に品物を選ぶことができるので、お客さんにとって
都合がいい。ゴミを少なくするという点でも、優れているので、現在、このシステムよ
りいい方法は見つかっていない。
4.スーパーでは商品が一つ一つ適当な量に分けられ、包装されている。それはお客さんが
自分で自由に品物を選べるし、人件費もかからないからである。しかし、包装材料など
がゴミになり、それを処分するのに金がかかるので、結局、お客さんもスーパーも損を
している。


食事は家族がそろって家でするのが一番だ。今日一日こんなことがあった、あんなことがあったと、わいわい騒いで食べるのがいいと私は思う。では、外食はしないのかというと、決してしないというわけではない。たまに外食をすることもある。すると、とても奇妙な光景にぶつかることがある。
 昨日もその奇妙な光景を見た。今流行の「ファミリーレストラン」に行った。当然、家族連れが多かった。小さい子供からお年寄りまで、たいそうにぎやかだった。そこに夫婦と子供二人(小学生の男女)の家族が入ってきた。彼らが席に着くと、ウェートレスが注文を取りに来た。母親がてきぱきと注文した。どうやら、まえもって決めてあったようだ。注文が済むと、みんな一斉に新聞や漫画を読み出した。だれも話をしようとしない。母親だけが何も読まず、夫や子供たちの様子をぼんやり眺めていた。確かに注文した料理を待っている間はたいくつである。特に話題がなければ、新聞や漫画を読むのもいいだろう。
 しかし、何か変だ。学校での出来事、妻の一日の出来事、夫の会社でのおもしろい出来事など、話題がないことはないだろう。しかし、ほとんど口を利かないのだ。そのうちに、夫の注文した料理が来た。彼はぼそぼそと何か言って食べ始めた。続いてほかの人の料理も来て、みんなが食べ始めたのである。結局、食事が終わるまで、ほとんど会話は交わされなかった。
 家族の団らんが茶の間から消えて久しいと言われている。昔は60ワットの裸電球の下で、貧しいけれど楽しい団らんがあった。もちろん、家族は千差万別で静かに食事をする家庭もあっただろう。食事中に父親が新聞を読んでいる家庭も多かっただろう。しかし、ファミリーレストランで見た家族のような「冷たい無関心」はなかった。彼らの心は漫画と新聞に集中していた。どうしてなのだろうか。
 私は原因はテレビだと考えている。テレビが家庭の団らんを奪ったのだ。テレビは家族の会話を拒否する。一人一人の心はテレビに向いていて、ほかの人には向いていない。テレビとは会話をしているが、ほかの人とは会話をしていないのだ。だから、私の家では食事中はテレビを消している。どんなにおもしろい番組でも消す。大好きなプロ野球や時代劇を見られないのも残念だが、まず親が手本を示さなければならないと思ってがまんしている。

問:本文の要点を簡潔にまとめた文はどれですか。
1.漫画や新聞を読むことは、子どもや父親にとっては、とても興味のあ ることなので、
読むのをやめさせる必要はない。また、現代はテレビを見ながらわいわい騒いで食事をするのは普通であり、テレビのスポーツ番組や時代劇はおもしろいのだから、それを無理にやめさせる必要はない。

2.食事中に話をしないのは、特に話題がないからで、いいとか悪いとかいう問題ではない。話題がなかったら、話をしないのは当然である。もし話題がなかったら、プロ野球や時代劇を見ながら食事をしたほうが楽しい。

3.テレビがなかったころは、静かに黙って食事をする家もあったし、わいわい騒いで食事をする家も多かった。ところが、テレビが茶の間に入ってきて、子どもがテレビを見て騒ぐので、静かにご飯が食べられなくなった。だから、テレビを消して、本や雑誌を読みながら静かに食事をした方がいい。

4.テレビが家庭に入ってきて、茶の間の様子が確かに変わった。茶の間の会話がテレビ中心になった。テレビは家族の会話を奪い、家族同士を無関心にさせた。ファミリーレストランで見た家族の場合は、テレビが漫画や新聞に変わっただけである。


もうずいぶん古い言い方になってしまったが、一時「三高」という言葉が流行した。三高というのは、女性が結婚相手を見つける、または決める時の条件である。つまり、三つのものが高いことが条件なのだ。この三つのものとは、「身長・学歴・収入」である。批判的な人もいたし、当然だと言う人もいた。流行語というのは、半分冗談なのだが、真実がないこともない。事実、「三高」も冗談なのだが、厳粛な意味も含まれている。
 「身長の高い男性がいい」というのは、男性が女性より身長が低かったら、並んで歩く時、格好が悪いという表面的な理由もあるだろうが、本音は男性は体格が立派であってほしいということだ。男性で体格が立派であれば、女性より背が高くなるのは自然である。また、「学歴・収入が高い」というのは、言い換えれば「知的能力がある」ということである。
 動物のオスができるだけ自分の子孫をたくさん残そうとするのに対して、メスは質の高いもの、つまり質の高いオスの子孫を残そうとする。そこにオスの戦いが起こる。これは人間も例外ではない。質の高い男性、つまり、体格が立派で、知的水準の高い男性と結婚すれば、質の高い子孫に恵まれる可能性が高い。女性がこのような男性(すなわち「三高」の男性)を求めるのは当然である。
 今まで、男性は一夫一婦制という便利な制度のおかげで、知力・体力のあるなしにかかわらず、結婚ができたが、これからはそうもいかないようだ。男性(オス)としての能力の劣っている人は、結婚もできないし、自分の子孫も残せないという悲哀を味わうかもしれない。

 

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