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日本历史上的今天(03月03日)

时间:2009-03-03 09:58:36  来源:本站原创  作者:maggie

●上巳の節句、桃の節句
上巳の節句は五節句の一つで、元々は3月上旬の巳の日だったが、後に3月3日に行われるようになった。旧暦では3月3日は桃の花が咲く季節であることから「桃の節句」とも言われる。古来中国では、上巳の日に川で身を清め不浄を祓う習慣があった。これが平安時代に日本に取り入れられた。後に、紙で小さな人の形(形代)を作ってそれにけがれを移し、川や海に流して不浄を祓うようになった。この風習は、現在でも「流し雛」として残っている。

●雛祭り
女の子の健やかな成長を願う伝統行事。女の子のいる家庭では、雛人形を飾り、白酒・菱餅・あられ・桃の花等を供えて祀る。上巳の日には、人形に穢れを移して川や海に流していたが、その人形が次第に精巧なものになって流さずに飾っておくようになり、雛祭りとして発展して行った。雛祭りは始めは宮中や貴族の間で行われていたが、やがて武家社会でも行われるようになり、江戸時代には庶民の行事となった。元々は、5月5日の端午の節句とともに男女の別なく行われていたが、江戸時代ごろから、豪華な雛人形は女の子に属するものとされ、端午の節句は菖蒲の節句とも言われることから、「尚武」にかけて男の子の節句とされるようになった。

●耳の日
日本耳鼻咽喉科学会が1956(昭和31)年に制定。「み(3)み(3)」の語呂合せ。また、三重苦のヘレン・ケラーにサリバン女史が指導を始めた日であり、電話の発明者グラハム・ベルの誕生日でもある。耳や聴力への関心を高め、聴覚障害の予防・治療を徹底する為の記念日。

●平和の日
1984(昭和59)年の国際ペンクラブ東京大会で、日本ペンクラブの発案により制定され、翌1985(昭和60)年から世界中で実施された。「女の子の健やかな成長を祝う雛祭りは平和の象徴である」との考えから。

●女のゼネストの日
1997(平成9)年から全国各地の実行委員会が実施。男女共同参画社会を目指し、「男女平等基本法」制定を求めて女性が立ち上がる日。この日が女の子の節句であることから、この日に実施することになった。1996(平成8)年に来日したアイスランドのフィンボガドチル大統領の演説がきっかけになり制定された。アイスランドでは1975(昭和50)年と1985(昭和60)年に「女のゼネスト」を行い、何万人もの女性が仕事を放棄して首都レイキャビクに終結し、これを契機に初の女性大統領が誕生した。

●三の日
日本三大協会が1993(平成5)年に制定。日本三大協会は、「三種の神器」「日本三景」等、日本で古来より三つで括ると安定すると考えられたのはなぜか、等を研究している団体である。

●桃の日
1999(平成11)年に日本たばこ産業(JT)が、同社の製品「桃の天然水」のPRの為に制定。

●金魚の日
日本鑑賞魚振興会が制定。江戸時代、雛祭りの時に金魚を一緒に飾ったことから。

●結納の日
全国結納品組合連合会が制定。結婚式の「三三九度」から。

●闘鶏の節句
宮中では平安時代から旧暦の3月3日に闘鶏が行われていた。

◆立子忌
高浜虚子の子で『玉藻』を主宰した俳人・星野立子の1984(昭和59)年の忌日。

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