【双语阅读】【白夜行】第十八回
眠る前に日記を書くことは、川島|江利子《えりこ》の長く続いている習慣の一つだった。初めて書いたのは小学校の五年生に上がった時だから、足掛け五年ということになる。彼女はこのほかにもいくつか習慣を持っていた。登校前に庭の植木に水をやること、日曜日の朝には部屋の掃除をすることなどだ。
ドラマチックなことを書く必要はなく、素気ない文章でも構わないというのが、江利子が五年間で学んだ日記を続けるコツだ。本日は特に変わったことはなし、でもいい。
しかし今日は書くべきことがたくさんあった。放課後、唐沢雪穂の家へ遊びに行ったからだ。
雪穂とは中学三年になって初めて同じクラスになった。だが彼女のことを江利子は、一年生の時から知っていた。
理知的な顔立ち、上品だが隙のない身のこなし。江利子は彼女に、自分や自分の周りにいる友人たちにはないものを感じていた。それは憧《あこが》れといってもよかった。何とか彼女と友達になれないだろうかと、ずっと思い続けてきたのだ。
だから三年で同じクラスになった時には自らを祝福した。そして始業式の直後、思い切って話しかけてみたのだ。
「友達になってくれない?」
これに対して唐沢雪穂は怪訝そうな素振りは全く見せず、江利子が期待した以上の笑顔を浮かべた。
「あたしでよければ」
いきなり話しかけてきた相手に対して、精一杯の好意を示そうとしてくれているのがよくわかった。無視されるのではと不安だった江利子は、その微笑みに感激さえ覚えた。
「あたしは川島江利子」
「唐沢雪穂よ」ゆっくりと彼女は名乗った後、一つ小さく頷いた。自分のいったことに対して、確認するように頷くのが彼女の癖だということを、江利子はその後少ししてから知った。
唐沢雪穂は江利子が遠くから眺めて想像していた以上に素晴らしい『女性』だった。感性が豊かで、一緒にいるだけで多くのことを再発見できた。また雪穂は会話を楽しくすることでも天性の才能を持っていた。彼女と話していると、自分までもが話し上手になったような気がするのだ。しばしば江利子は、彼女が自分と同い年であることを忘れた。だから彼女のことを日記で何度も、『女性』と表現するのだった。
そんな素晴らしい友人を持っていること自体が江利子には誇らしかったのだが、当然彼女と友達になりたがる生徒は少なくなく、彼女の周りにはいつも同級生たちが群がっていた。そんな時江利子は軽い嫉妬《しっと》を感じた。大切なものを奪われたような気になるのだ。
だが何より不快なのは、近くの中学校の男子生徒が雪穂の存在に気づいて、まるでアイドルタレントでも追うように彼女の周りに出没するようになったことだった。先日も体育の授業中、金網によじのぼってグラウンドを覗いている男子生徒がいた。彼等は雪穂の姿を見つけると、ほぼ例外なく下品な声をあげるのだった。
今日も下校時に、トラックの荷台に隠れて雪穂の写真を撮っている者がいた。ちらりと見ただけだが、ニキビ面の、不健康な顔つきをした男子生徒だった。いかにも低俗な妄想で頭をいっぱいにしていそうなタイプに見えた。その妄想の材料に雪穂の写真が使われるかもしれないと思うと江利子などは吐き気を催しそうになるのだが、当の雪穂は全く意に介さない様子だ。
「ほうっておけばいいよ。どうせそのうちにあきるだろうから」
そしてまるでその男子に見せつけるように髪をかきあげるしぐさをする。向こうの男子があわててカメラを構えるのを、江利子は見逃さなかった。
「でも不愉快やないの? 勝手に写真を撮られるのなんて」
「不愉快だけど、むきになって文句をいったりして、結果的に連中と顔見知りみたいになってしまうほうが余程いやだもの」
「それはそうだけど」
「だから無視すればいいの」
雪穂は真っ直ぐ前を向いたまま、そのトラックの前を通過した。江利子はその男子の撮影を少しでも邪魔しようと、彼女の脇から離れなかった。
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