双语阅读:【青春小说连载】春の夢(93)
「なんで……?」
「何もかも、もうどうでもようなったんや。陽子のことも、この蜥蜴のことも、大学を卒業することも、どうでもええんや」
言っているうちに、哲之は次代に本気になっていった。たとえいっときにせよ、他の男に心を移した陽子に憎しみを感じ、まるでそうすることが復讐であるかの用にしつこく行き続けているキンに怒りを抱いた。金が欲しい。貧乏はいやだ。哲之は胸の中で叫んだ。
「熱が下がったら、きっと私に謝るわ。あれは嘘や。やっぱり陽子が好きやって……」
哲之は陽子の目を見やった。いまの自分の心をそれ以上に静めてくれる言葉はなく、しかも陽子がいささかのてらいも動揺もなく、穏やかに言ってくれたことに全身が泡立つほどの歓びを感じた。陽子は哲之に薬を飲ませ、横にさせて蒲団をかぶせた。
「ここらは、夜はぶっそうなことなんや。駅の近くの商店街には、いなかやくざやチンピラがたむろしてる。家主さんの電話を借りてタクシーを呼んで、家まで帰った方がええよ」
哲之がそう言うと、陽子は鍋や皿を台所に持って行き、水道の蛇口をひねってから、
「きょうは、ここに泊まるのよ」
と答えた。
「哲之が目を醒ます前に、そこの雑貨屋さんの公衆電話で家に電話かけといたの」
「俺の部屋に泊まるって、お母さんに言うたの?」
陽子は濡れた手をタオルで拭きながら振り返り、大きく頷いた。
「お母さん、凄く怒ったわ。絶対に帰って来いって、金切り声をあげて。四十度も熱のある人が狼になんかなりませんて言ったら、それもそうやなァって考えたらしくて、しぶしぶ許してくれた。お父さんには適当に嘘をついといてねって頼んだら、あんたは馬鹿よって言われた。賢い女は、恋愛と結婚とは別に考えるもんなのですよ。そうお説教されたけど、お母さんにはもう何もかも判ったみたい」
「何もかもって?」
「何もかもよ」
陽子は哲之の傍に坐り、目を輝かせて言った。哲之は蒲団から手を出して、それを陽子のスカートの中に忍(しの)ばせて一番奥深いところをまさぐった。陽子はその哲之の腕をつねり、あきれ顔で、
「狼にはなれへんけど。蛇(へび)にはなれるにね」
と言って倒れこんで来た。けれども四十度の熱が、哲之を狼にも蛇にもさせなかった。陽子の体の重みで息が苦しくなり、
「もう触ったりせえへんから離れてくれ。息がでけへん」
と頼んだ。陽子はくすくす笑って、さらに哲之に覆いかぶさってきた。
「あの蜥蜴に、水とクリムシをやってくれよ」
哲之の言葉で、陽子は慌てて身を離し、乱れた髪を整えつつ、
「そんなん、いやや……」
と困惑したように言い返し、柱のキンをちらっと見やった。
「そやけどキンも、二日ほど何にも食べてないんや」
「いやや。クリムシなんか、私、よう触らんもん」
「ピンセットで挟んで、鼻の先にそっと持って行ったら、勝手に食べるよ。水もスプーンでやるんや」
「それぐらいやったら、哲之が自分で出来るでしょう?」
「俺は四十度も熱があるんやぞぉ。起きる力もないんや」
「さっき歩いて病院に行ったくせに」
哲之に何度もせっつかれて、陽子はべそをかいたような表情のままスプーンに水を入れて来た。そして出来るだけキンから離れて、スプーンを持つ手を伸ばした。キンはよほど喉が乾いていたらしく、せわしげに赤い舌をくねらせた。そのたびに、陽子の口からかすかな悲鳴に似たものが洩れた。哲之は目を閉じて、そんな陽子の、ある種の官能美を帯びた声を聞いていた。聞いているうちに、キンという生き物が、何やら途轍もない存在に思えてきた。同時に、陽子もまた途轍もない生き物であることを知った。
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