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日本文化:日本概况(日文)03课

时间:2008-10-16 22:05:18  来源:51test  作者:maggie

 第3課 日本国家の誕生と天皇

 日本には表のような国民の祝日がありますが、この中で一番わかりにくいのは建国記念日でしょう。

 日本最古の歴史書「古事記」「日本書紀」に、紀元前660年に初代の天皇(神武天皇)が即位したと書いてあり、その日が今の暦で2月11日に当たるので、建国記念日となりました。しかし、これは神話世界の話であり、科学的な根拠があるわけではありません。

 この神武天皇には東征神話があり、それによると、45歳のとき、船軍を率いて日向(=宮崎県)を出発し、瀬戸内海を東へ進み、難波(=大阪)に上陸して大和に向かったが、土地の豪族の軍に妨げられ、紀伊半島を迂回して熊野から大和に入り、土豪たちを征服し、大和平定に成功したとあります。もしこれが正しいとすれば、4世紀半ばに成立したという大和政権は、畿内豪族が連合して築いたという通説と異なり、九州地方にいた王族によって作られた征服王朝ということになります。まあ、どちらが正しいかはともかく、4世紀に統一国家大和が成立し、飛鳥・奈良・平安時代と天皇・公家の政治が続きます。以後、1185年に鎌倉幕府が樹立され、政治の実権が朝廷・公家から武家の手に移り、武家政治が室町幕府、織田・豊臣政権、江戸幕府265年間と約7世紀続きます。この武家政治に終止符を打ったのが、1867年の明治維新です。

 さて、今の平成天皇明仁は125代目で、なんとこの皇室は1500年以上続いていることになりますが、世界でこんなに長く生き延びた王族はありません。それが可能だったのは、おそらく天皇が直接政治に携わらなかったからでしょう。天皇が実際に国の権力を握って政治を行ったのは7世紀からの2世紀ぐらいで、明治維新後は大日本帝国の元首とされた天皇でしたが、神格化され、祭り上げられた存在で、政治の実権は藩閥官僚や軍部が握っていました。事実、明治・大正・昭和を通して、天皇が政府や帝国議会の政策決定に口を挟んだことはなく、天皇が下した唯一の裁断は、昭和天皇のポツダム宣言の受託だったと言われています。

 ところで、「日本」という国号ですが、いつから使われるようになったのでしょうか。もともと日本の国は「やまと」と言いました。それが大化の改新のころから、東方の「日の本」(日の昇るところ)という意味から「日本」と書いて「やまと」と読むようになったのです。それをニホン・ニッポンと音読するようになったのは、奈良時代(710~784)以降だと言われています。

 では、「日の丸」(国旗)、「君が代」(国歌)はどうでしょうか。「日の丸」は古くから武家の家紋や南蛮貿易の船籍を示すものとして使われていましたが、公式には江戸幕府が幕末期に日本総船印として使うことに決めたのが最初です。続いて明治政府も太政官布告で郵船・商船に「日の丸」を掲げることを定めましたが、一般的にはこの時が「日の丸」が国旗になった日とされています。「君が代」については、それが初めて演奏されたのは、1880年、明治天皇の誕生日の場です。以後、事実上の国歌として扱われるようになりました。このように「日の丸」も「君が代」も天皇制国家の成立と不可分なものでしたから、戦後はその是非をめぐって、学校教育の現場などで激しい議論が闘わされてきました。1999年の「国旗・国歌法」で法律的には国旗・国歌とされたのですが、今も「日の丸」「君が代」の強制に反対する意見は根強くあります。

新しい文型

~わけではない
~によると
~とすれば
~によって~れる
~と言われている
~をめぐって

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