【日本文化略知一二】日本列島に住みついた人々(下)
今天还是接着昨天"日本人祖先"的故事继续讲下去.
当時の日本は中国から「倭」と呼ばれていました。中国の史書「後漢書」や「魏志倭人伝」には、「倭国は紀元前後には100余国に分かれていたが、長い倭国大乱を経て、3世紀ごろには卑弥呼を女王とし、約30の小国が従う邪馬台国が生まれた。」と記されています。また、「魏志倭人伝」には「男はみな入れ墨をする。女子は髪を束ねて、布の中央に穴をあけ、そこから頭を出して着ている。気候は温暖で、年中生野菜を食べ、裸足で生活している。人は手づかみで食べ、酒好きで、100歳や80~90歳くらいまで長生きする人が多い。」とも書いてあります。確かに、生野菜を食べる、酒好き、長生きなど、現代日本人にも通じますね。
ちなみに、国家統一を実現した大和朝廷の時代になると、日本人は「倭」という言葉を嫌い、同音の「和」という漢字をあてるようになります。これが「和語」「和食」などでなじみの「和」の起源です。
一方、北の蝦夷地に住むアイヌ民族は倭人のことを「シャモ」(「隣人を意味する語」と呼びました。その名前のとおり、倭人とアイヌ民族は、縄文以来、お互いに隣人として平和的な交易関係を結んでいました。しかし、15世紀になると、倭人のアイヌの地・北海道への侵攻が強まりました。この倭人の侵略に対してアイヌ民族は何度も蜂起し、大きな戦いを繰り広げましたが、最終的には敗北し、江戸時代には松前藩の支配下に置かれました。そして明治以降は、アイヌ民族を「旧土人」と蔑視する明治政府の強圧的な同化政策が行われたため、アイヌ固有の慣習・文化はほとんど途絶え、現在では民族の人口も2万7000~8000人へと大幅に減ってしまったのです。
下期预告:日本国家的诞生 ^O^
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