报刊杂志精品选读 第19期 野球系列之三
中国野球プレーボール
文 写真・坪井信人
中国大陸部では、野球がメディアに登場することはめったになく、知名度も極めて低い。
そんな地域に今年、「中国野球リーグ」(CBL)が誕生した。これは、中国が五輪の正式種目である野球の強化に乗り出したことを意味する。人口十三億の中国が、世界の野球の勢力図を変える日が来るかもしれない。
中国野球の百年、断絶と復興
北京豊台野球場は、目下、北京で唯一の観客席付きスタジアム
北京タイガースの選手たち
「加油! 加油!」(がんばれ!)
5月25日午後、北京豊台野球場は、ほぼ満員の約三千人の観客で埋まり、四時間を超える長丁場にも関わらず、試合終了まで声援が響きわたった――。これは、今年誕生した「中国野球リーグ」(CBL)の決勝戦、北京と天津の間で行われた試合の光景だ。
幅広い年齢層の観客が詰め掛けたが、特に目立ったのは、北京国安(プロサッカーチーム)のユニフォームを着た少年たち。サッカーの応援グッズを手に声援を送った。
「ワー!」
小飛球が上がるたびに、歓声と悲鳴に包まれた。野球を見慣れていない観客が多いため、凡フライも、本塁打の可能性を秘めた「大飛球」に見えていたようだ。主催者は、初めて野球を観戦する人のために、「あとワンアウトで攻守交替です」「いまのプレーはスライディングといいます」……と、スタジアムに解説を流した。
試合は天津が先制し、北京が追いかける形で進み、最終回、4点を追う北京が2点を還すも万事休す。6対4で天津が初代チャンピオンに輝いた。
☆ ☆ ☆
「野球」がほとんど知られていない中国大陸部で、これだけの観客が集まったのは、快挙だった。台湾の野球熱は、日本でもよく知られている。大陸部と台湾で、なぜ、これほどの温度差が生まれたのか。
決勝戦の始球式は、LAドジャーズのラソーダ氏(左は天津ライオンズの任民捕手)
『中国野球運動史』(武漢出版社)によると、中国と野球の出会いは、百年以上前までさかのぼる。米国や日本に留学した中国人、それに、アヘン戦争(1840~42年)後に布教活動に来ていた宣教師によって中国大陸に伝えられた。
早くは1895年に北京と上海で野球が教えられていた記録がある。「改革・開放」前でもっとも盛んだったのは、1950年代後半から60年代初めで、59年の第一回全国運動会(日本の国体に相当)には、23省・市および人民解放軍の野球チームが参加した。
しかし「文化大革命」初期、社会の混乱から各地の野球チームは解散、育ちつつあった野球文化のつぼみはしぼんでしまった。その後、72年以降に北京、天津、上海などの都市で野球チームが復活し始め、75年からは、日本や米国などの野球界との交流も始まった。トップレベルの選手は、この頃から日本の社会人チームに練習生として参加し始めたため、トレーニング方法は、日本野球を参考にしている。
北京五輪に向けての第一歩
現在、省・市所属の成人チームは、十数チーム。CBLは、これらのチームのうち、実力が上位にある北京市、天津市、上海市、広東省の四チームにより始まった。そしてそれぞれに、北京猛虎(タイガース)、天津雄獅(ライオンズ)、上海金鷹(イーグルス)、広東閃電(ライトニング)というイメージネームが付いた。
初年度の今年は、変則ホームアンドアウエー方式で総当たり戦を行ったあと、勝ち点で上位二位に入った北京と天津の間で決勝戦が行われ、幕を閉じた。総試合数は25試合、期間は4月26日から5月25日の一カ月だった。
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