日语名家作品:外村 繁《梦幻泡影》
書斎の床の間に、妻の遺骨が花々に飾られて置かれてある。私はそっとその横の机の前に座ってみた。何日ぶりかのことだった。
在书斋的壁龛里,摆放着妻子的遗骨,遗骨的周围装饰着许多鲜花。我悄然坐在近旁的桌前。这已是时隔多少天以后的事了。
不意に、雲のような哀しみが湧いてきて、ああと思ううちに、哀しみは涙となって溢れ出た。哀しみは胸を震わせ、涙は溢れ、溢れてきた。私はとうとう机の上に泣き伏した。
不料,一阵哀伤云一般地涌来,我刚一动念,倏忽之间,这哀伤已化为泪水夺眶而出。哀伤震撼我的心胸,泪如泉涌,一发难收。终于,我哭到在桌上。
純粋に、哀れしみだけの涙だった。少しの悔恨も、執念も、其の中には混じってはいなかった。(中略)ただ青みだつような哀しみだった。そんな哀しみが、次から次へと、涙となって溢れてくる。例えばエレベーターなどの急下降(かこう)する時、三半規管(さんはんきかん)の中のリンパが急に揺れ動く、あの感覚にも似て、不意にきゅっと胸を絞るような、哀しみの湧き方である。私自身どうすることも出来ない。私はあわてて、やっと目の上を押さえることが出来るだけである。最早(もはや)、善も悪もない、むしろ非情にも近い哀しみである。しかし人の涙となれば生温い。まして五十近い男の頬を流れる涙等と言うものは、だらしない極(きょく)である。
那眼泪是单纯的哀伤的眼泪。里边不含丝毫的悔恨和妄执。(中略)只有极度苍白似的哀伤。那哀伤源源不断地化作眼泪流潸然而下。有点像坐电梯急速下降,内耳的三半规管内的淋巴受到激烈摇晃时的那种感觉,内心骤然揪紧,不禁悲从中来。我无法自制。手忙脚乱,也只能掩面而已。这已是一种无关善恶,近乎无清的哀伤。但是这种哀伤如果变成了人的眼泪就婆婆妈妈起来。何况是流淌在一个年近五十的男人脸上的泪,更是窝囊之极。
しかし私にはそれをこらえる力は、今はない。私はまたも机の上に泣き伏してしまう。
然而我现在还不具备克制它的能力。我只会又一次哭倒在桌上。
幸いにも涙というものはそういつまでも流れ出るものではない。いつか目の縁を引き吊るようにして、自然に乾くのを待つよりほかない。外には、冬の日とも思われない、うららかな日々が続いているのに私は自分ながら愛想の尽きるような日々を送っている。
所幸眼泪是不会永远流不完的。也只有等眼眶发吊,眼泪自然干涸。屋外,每日都是响晴白日,根本不像是冬天,而我则在打发着连自己都觉得厌透了的日子。
外村繁る「夢幻泡影(むげんほうえい)」
外村 繁《梦幻泡影》
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