日语杂谈随笔 第4期 日本仏像(下) 中日文对照
飛鳥寺は、大化の改新にもゆかりのある史跡だ。645年6月、豪族の蘇我入鹿(そがのいるか)を暗殺した中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)は飛鳥寺に入った。そして甘樫丘(あまかしのおか)の自邸にこもった入鹿の父、蝦夷(えみし)とにらみ合ったという。
ゆかり[0](因缘、关系)
たどって行けば その人になんらかの関係が有ること。
「故人―の〔=故人と関係の深い〕地で/縁エンも―〔=ちょっとした つながり〕も無い」
睨(み)合・う[4]:(自五)
(一)互いに(敵意を持って)睨む。(互相瞪眼、盯视)
(二)〔手出しはせずに〕互いに敵意を持って対立する。(敌对、敌视)
飞鸟寺,是和大化改新颇有渊源的一个史迹。645年6月,暗杀豪族苏我入鹿的中大兄皇子来到了飞鸟寺。而入鹿的父亲、蝦夷正盘踞在甘坚丘自己的家中。双方相互敌对。
その甘樫丘のふもとの遺跡で、入鹿の屋敷の一部だった可能性のある建物などの遺構がみつかった。今回発掘された柱の穴から想定される建物や塀は、小規模なものだ。しかし、94年には、すぐ近くから焼けた木材や土が見つかっている。1400年近く前の時代への想像をかきたてる発見だ。
在甘坚丘山麓的遗迹中,发现的一些建筑遗址,很有可能是入鹿家宅的一部分。从这次出土的柱子上的小孔来看,该建筑物及其围墙均属小规模建筑。但是,94年在其附近发现了焚烧过的木材及泥土。这是一个激发人们去想象近1400年前那个时代的发现。
「冬(ふゆ)十一月(しもつき)に、蘇我大臣(そがのおほおみ)蝦夷(えみし)・児入鹿臣(こいるかのおみ)、家を甘橿岡(うまかしのをか)に双(なら)べ起(た)つ。大臣の家を呼(よ)びて、上(うへ)の宮門(みかど)と曰(い)ふ。入鹿(いるか)が家をば、谷(はさま)の宮門と曰ふ……家(いへ)の外(と)に城柵(きかき)を作(つく)り、門(かど)の傍(ほとり)に兵庫(つはものぐら)を作る……恒(つね)に力人(ちからひと)をして兵(つはもの)を持(も)ちて家(いへ)を守(まも)らしむ」(『日本書紀』岩波書店)。この記述の通りだったとするならば、丘は砦(とりで)のようだったのかも知れない。
“冬十一月,苏我大臣暇夷与入鹿父子,双双于甘缰冈修建家园。勾结大臣,欲入宫门。入鹿称宅门为谷之宫……在宅门外竖起栅栏,在门边修建兵库……以强壮兵士守护家门。”(《日本书纪》岩波书店)如果真如此文记述,丘或许真的修建得如城寨一般。
今、この丘には誰でも登れる。坂の上の見晴らし台から大和三山も一望できる。古代の権力が激しくせめぎあった舞台は、時にさらされ、穏やかな風景となって心をなごませてくれる。
如今,这座小山谁都可以攀登。从山坡上的眺望台上甚至可见大和三山。在古代权力争夺激烈的这个舞台上,随着时间的流淌,现如今已汇成恬静的风景温暖着我们
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