美文精读:分别是一件美好的事
別れ
僕は美しい別れがないとは思わない。別れは美しく、甘美なものである。
だが、それはある年月を経て、思い出した時の感情で、別れそのものの実態とは少し違うような気がする。
年月というものは、すべてのものを美しくする。それは魔術師のように巧妙で、鮮やかである。
…………
それはまさしく、思い込むという言葉が当っている。年月の風化が、美しいものの過去をすりかえた。だが、別れの実態はそんな美しい物ではなかった。互いに傷つけあい、罵り合い、弱点をあばき合った。とことん、相手がぐうの音もでないほど、いじめつけて、そして自分も傷ついた。
愛した人との別れは、美しいどころか、凄惨でさえあった。しかし、それはいいかえると、そうしなければ別れられなかった、ということでもある。そこまで追い詰めなければ別れられないほど、二人は愛し、憎みあっていた。
僕は今でも、「君を愛しているから別れる」という台詞を信じられない。そういう論理は、女性にはあるかもしれないが、男にはまずない。例えば、恋人にあるぇんだんがあったとき、「君の幸せのために、僕は身を退く」ということを言う男がいる。また、「僕は君には価しない駄目なおとこだ。君は他のいい人がいるなら、その人のところに行っても仕方がない」という人もいる。
こういう台詞を、僕は愛している男の言葉としては信じない。もしおとこが、相手の女性をとことん愛していれば、男はその女性を最後まで待っている。もちろん、人によって、表現に少し違いがあろうが、そんな簡単にあきらめたりはしない。その女性を離すまいとする、かなりの犠牲を払っても、その女性を引きとめようとする。
恋とは、そんなにさっぱりと、ものわかりのいいものではない。いいどころか、むしろ独善的である。相手も、まわりの人も、誰も傷つけない愛などというものはない。それは、傷つけていないと思うだけで、どこかの部分で、他人を傷つけている。
愛というのは所詮、利己的なものである。
だから傷つけていい、という理屈はもちろん成り立たない。他人を傷つけるのはできる限り少なくしなければならない。だが、その事から相手のために譲ってもよいという理屈にはならない。