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中日对照"天声人语":乍暖还寒犹未定

时间:2012-02-17 16:37:27  来源:天声人语  作者:dodofly

今年が没後100年の石川啄木に、梅を詠んだ、どこかおかしくて淋(さび)しい一首がある。〈ひと晩に咲かせてみむと、/梅の鉢を火に焙(あぶ)りしが、/咲かざりしかな。〉。3行書きだが、改行と読点をとばして読むと三十一文字(みそひともじ)のリズムになる

今年是石川啄木逝世100周年,他创作过一首咏梅的诗作,内容荒诞却又散发出一种莫名的悲伤情绪。“明日清晨欲赏梅/一夜无眠燃火堆/梅花盆钵火上烤/不知能否绽花颜”,虽然只有3行,但去掉换行与标点,读起来正好吻合三十一字的和歌韵律。

▼実際に試したのか空想かはおいて、にじむ屈折は、思うにまかせぬ人生の投影だろう。しかし梅は、せっかちをしなくても寒さの中へきりりと開く。桜や桃が春の花なら、梅は春を呼ぶ花だ

▼暂且不去深究是否真这么试验了还是只是个空想,然而其中渗透出的晦涩恐怕正是其难随心愿之人生的投影吧。其实,本不用着急,梅花自然会在严寒中凛然绽放。如果说樱及桃是春天之花的话,那么梅便是唤春之花。

▼中国、宋の陸游(りくゆう)は梅を愛した詩人だった。「落梅」という詩でこう言っている。桃や李(すもも)がよい季節を選んで咲くのは、それでかまわない。だが氷と雪がきびしく張りつめる大地に、力いっぱい春を甦(よみがえ)らせようとしているのは誰か。梅ではないか――(『陸游』岩波書店)。花の姿に「凜(りん)」の一字が似合うゆえんだろう

▼中国宋朝的诗人陆游是爱梅之人。他在《落梅》这首诗中说道:“桃花和李子花选择大好的时节盛放却也无妨。但是,在漫天雪花、天寒地冻的季节里,拼尽全力呼唤春回大地的是谁?不就是梅花吗?--”(《陆游》岩波书店)。因此,用“凛”字形容此花盛放的姿态尤为贴切。 

▼その梅が、今年はどこも遅い。気象庁によれば東京の開花は平年より15日も遅かった。立春を過ぎれば「余寒」と言うが、酷寒の風にふるえる日が続く。北国のつぼみは降雪の下で身を固くしていよう

▼可就是这梅,今年无论在何处都延迟了它的花期。据气象厅观察,东京地区的开放较一般年份晚了15天。立春过后一般称之为“余寒”,可今年在酷寒的大风中索索发抖的日子却没有间断过。北国的花蕾更是不畏降雪的严寒仍在挺身坚持。

▼思えば2月は不思議な月で、光は春なのに冬がきわまる。没後70年、与謝野晶子の詩「二月の街」はうたう。〈春よ春、/街に来てゐる春よ春、/横顔さへもなぜ見せぬ。/春よ春、/うす衣(ぎぬ)すらもはおらずに/二月の肌を惜むのか……〉

▼这么想想,2月真是不可思议的月份,白昼时间已进入春季,然而冬季仍盘踞着不肯离去。与谢野晶子已逝世70年,她曾在诗中这般咏叹道:“春天啊春天/已经降临小镇/春天啊春天/为何不展露侧颜/春天啊春天/甚至不披一件薄薄的外衣/可是怜惜这二月的冰肌……”

▼寒気が流れ込み、週末はきびしく冷え込むという。だが、寒さの底で何かが兆している。ぴしり――と氷の割れる音に、耳を澄ます春よ早く来い。

▼又有寒流入境,据说周末仍有严重冰冻。然而,在这严寒的底部已经有了什么在躁动的迹象。快来吧,春天!让我们侧耳聆听你撕开冰面发出的喀拉拉——崩裂之声吧!

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