【日本文化略知一二】満州事変から太平洋戦争へ(下)
今天继续就昨天的话题给大家介绍 満州事変与太平洋战争
1931年に満州の関東軍は柳条湖事件を起こして軍事行動を開始し、翌32年、日本は満州を中国から分離して「満州国」を作りました。1932年海軍青年将校の指導したクーデター事件(五・一五事件)が起こり、犬養毅首相が射殺され、政党内閣制に終止符が打たれました。1936年には、青年将校や兵の約千五百名が、「昭和維新」を呼号して首相官邸、警視庁などを占拠し、重臣たちを襲撃するという二・二六事件が起きました。
これらのクーデターは失敗しますが、軍内部では反乱に対する同情が圧倒的に強く、これを機に政治は一気に軍部主導へと向かいました。そして、1937年7月7日、廬溝橋事件が起こったのです。この事件を戦争拡大に利用したのは、東条英機関東軍参謀総長をはじめとする軍中央の強硬派です。日本は大軍を現地に送り、華北から華中へと中国支配を進めようとしました。日中全面戦争が始まりました。政府は、1937年、「国民精神総動員運動」の実施を決定し、翌年には国の全ての産業や組織を戦争体制に協力させるために「国家総動員法」を制定しました。この戦争体制を強めるに際して、最も邪魔な存在は、共産主義者や自由主義者でしたが、これらの人々は「治安維持法」によって徹底的に弾圧されました。
1939年に第2次世界大戦が勃発すると、日本政府は日独伊三国同盟を結ぶ一方で、石油など軍需物資確保などを目的に東南アジアへの南進政策を進めました。この日本の行動に対して、アメリカ、イギリス、オランダは、日本への石油や屑鉄の輸出禁止など、俗にABCDラインと呼ばれる対日経済封鎖を行いました。1941年12月8日、日本はハワイの真珠湾を奇襲攻撃し、太平洋戦争が始まりました。そして、この無謀な戦争は、1945年8月、広島と長崎に原子爆弾が投下され、日本が無条件降伏し、ポツダム宣言を受諾するまで続けられたのです。
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