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中日对照"天声人语":无纸办公  怀念手写

时间:2011-06-06 22:21:11  来源:本站原创  作者:suketu

▼声欄に載る投書に、思わず背筋の伸びることがある。それでは足りず頭(こうべ)まで垂れたくなる一文を、先月の大阪本社版で読んだ。2年前に他界された奥さんが、10年以上にわたって小欄を書き写してくださっていた、という内容だった

▼在声音专栏中刊登的一些投稿中有些令人在不经意间就深思的东邪。而且有一篇文章让我彻头彻尾的折服,是上个月在大阪总社读的。2年前一位去了天国的夫人,10多年坚持抄写我们的文章


▼京都の大石治さん(77)のお宅には、丁寧な字で埋まったノートが27冊も残る。毎晩、就寝前の30分を充てておられたという。筆写につれて、日記の文章が無駄なく上手になっていくのにご主人は驚いたそうだ。宝物にしたいようなありがたい話である

▼在京都大石治先生的家里有27册工整抄写下来的笔记本。据说这是她在每晚利用就寝之前的30分钟留下的作品。据说因为长期抄写,太太的日记也开始变的有文采,这是先生没想到的。听到这些不禁觉得这是比宝贝还珍贵的话啊,


▼パソコンにおされて手書き文化はたそがれつつある。そうした中、多くの方が小欄を筆写してくださっているのを知った。専用の書き写しノートを発売したところ、面映(おもは)ゆくも好評らしい。筆者としては、日々の出来不出来がいっそう気にかかる

▼在电脑的推动下,手写的文化已经开始睡呗。在此大环境之下我知道还有不少人仍坚持抄写敝栏目的文章。当在市场上销售的专用的书写型笔记本,竟然很畅销。作为文字工作者来说,平日里文章的好与坏就更加需要我注意了。


▼自由律の俳人尾崎放哉(ほうさい)の一句、〈心をまとめる鉛筆とがらす〉が胸に浮かぶ。何も小欄に限らない。文を書き写す時間には、ゆたかな静謐(せいひつ)があるように思う。キーボードでは得られない「手と心」の一体感だろうか

▼自由韵律的俳句诗人尾崎放哉的一首俳句浮现在我的脑海,<调整烦躁心,文章有奇功,削尖写字笔,乐趣篇章中>。其实这也并不局限于本栏目。在用手书写的过程中我还能感觉到一份充满静谧的感受,这也许是用键盘打字所感受不到的手与心的一体化吧

▼写真のなかった昔、人をしのぶよすがは肉筆だった。「平家物語」にも「はかなき筆の跡こそ後の世までの形見」とある。なのに昨今は、職場でも互いの手跡を知らない同僚が増えている

▼从前没有照片的时候,追忆人的方法就是那个人的手笔。《平家物语》里也说过“只有笔记才能在后世成为别人的纪念品”。但近来,职场间,不知道对方笔记的同事却在增加。

▼日ごろの「パソコン頼み」を反省し、この原稿は鉛筆をとがらせ、マス目の書き写しノートに書いてみた。恥ずかしながら5枚も反古(ほご)にした。さて出来不出来は。採点はどうか、お手柔らかに願います。

▼我反省了平日里“电脑依赖”,这篇稿子就是用削尖了的铅笔在格子的笔记本上写下来的。有点羞耻的是竟然反复用了5枚稿纸。那么,写得好不好,该打多少分,希望各位手下留情。

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