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中日对照"天声人语":全民行动 拒绝核电

时间:2011-06-17 17:39:24  来源:本站原创  作者:suketu

▼イタリアの人々が原発に「ノー」を選択した。その報に、かの国の天才ダビンチの手記の一節が胸に浮かんだ。〈君が手にふるる水は過ぎし水の最後のものにして、来たるべき水の最初のものである〉(杉浦明平訳)。美しい言葉だと思う。

  意大利人选择了对核电说“不”。看到这个报道,我脑中浮现出该国天才达芬奇所写的手记中的一句话:“你的手所触摸到的水,是流走的最后的水,也是流来的最新的水” (杉浦明平译)。真是美丽的语言啊

▼人々の触れる水は、いまや脱原発という新しい流れである。「イタリアは原発にさよならを言わなければならない」と、放言王のベルルスコーニ首相もさすがにしおらしい。だが代弁者らしき人が日本に現れた。自民党の石原幹事長である。

  人们现在所触摸的水,就是去核电这条新的河流。“意大利必须对核电说拜拜”,一向发言不经大脑的贝卢斯科尼总理也真不愧是紧跟世界潮流。不过现在日本出现了一个似乎是意大利人民发言人角色的人,他就是自民党的石原干事长。

▼伊の選択を「あれだけ大きな事故があったので、集団ヒステリー状態になるのは心情としては分かる」と語った。他国の民意をヒステリー呼ばわりは失礼だが、言葉の先に日本の世論もあるなら、少し国民を侮っておられよう。

  对于意大利人的选择,他如此评价:“因为发生了这么严重的事故,所以他们陷入集体竭斯底里的状态心情上是可以理解的”。把人家国家的民意称为竭斯底里实在失礼,不过,如果他说这话之前日本也进行过民意调查的话,他的话就有侮辱国民之嫌了。

▼たしかに、嵐の日の決意は晴天の日には忘れられると言う。しかし福島第一原発事故で、私たちは原発の「真実」をつぶさに知った。それ以前とは違う。その意味で事故は、時代を分かつ最後の水にして最初の水であろう。

  的确有像俗话说的好了伤疤忘了疼这种事。然而,福岛第一核电站事故让我们详细地了解到了核电的真正面目。这就跟以前不一样了。从这个意义上看,这次事故可以称得上是划时代的最后也是最新的水。

▼知ったことの一つに、放射能について確かなことが乏しい実態がある。行政は混乱し、住民は何を信じるかで、安心と恐怖の間(はざま)を振り子のように揺れる。「原爆・原発一字の違い」と言う。やはり人間とは容易には相容(い)れない。

  我们了解到的情况之一,就是现状是我们对核能还缺乏确切了解。加上行政的混乱,居民到底要相信哪边呢?心情就像钟摆一样在放心和恐怖之间摇摆。人们常说“核爆和核电只有一字之差”。核这东西还是很难跟人类和平共处的。

▼〈木は自分の破滅をもって木を伐(き)るものに復讐(ふくしゅう)する〉もダビンチの手記にある。木を伐る者は人間しかいない。どこか「神の火」をあやつる後世への警告めいて、天才の言葉は響く。

  “树以自己的毁灭来报复伐木者”这句话同样出自达芬奇的手记。伐木者无非就是人。总觉得天才的这句话中,包含着对操弄“神火”的后世人的警告。

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