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中日对照"天声人语":温暖双手 情满人间

时间:2011-08-29 19:15:19  来源:可可日语  作者:suketu

手術をささえてくれた手の温(ぬく)もりに感謝します。50代の女性のそんな一文が、何年か前の声欄にあった。目に大けがをしての手術中、病院のスタッフがずっと手を握り続けてくれたそうだ。

感谢进行手术时支持我并给予我温暖的那双手。在几年前的声栏上刊登过一位50多岁的女性写的这句话。在眼部大手术时,医院的工作人员一直握着她的手。

「私が握ったのは血の通った人の手だった……もう片方の手で優しくさすってくれた」――。「手」を語って印象深かった投書を、かまくら春秋社から頂戴(ちょうだい)した季刊誌『詩とファンタジー』の特集を読んで思い浮かべた。あの、「手のひらを太陽に」の歌が誕生して今年で50年になるという。

“我握住的是位生机勃勃的人的手……另外一只手温柔地抚慰着我”——。我在读着从镰仓春秋社收到的季刊《诗和幻想》特集时,想起了这篇令我印象深刻的讲述“手”的来稿。那首《阳光透过我手心》的歌曲诞生至今已有50年了。

漫画家やなせたかしさんの詞に、いずみたくさんの曲。ひらがなコンビがつくり、宮城まり子さんが歌った。軽快な前奏に続く〈ぼくらはみんな生きている……〉は大勢の耳に宿っていよう。筆者など、小学校の校内放送を懐かしく思い出す。

漫画家柳濑嵩先生作词,今泉隆雄先生作曲。这名字同是平假名的组合创作了这首歌曲,并由宫城女生演唱。轻快的节奏之后响起歌词“我们都活着……”,想必大家都耳熟能详把。笔者我也满怀留恋的想起小学时的校内播放。

実は自分が一番元気のなかった時に作った歌だと、やなせさんが回想している。長編コミックに押されて仕事が急減していた。深夜の仕事場でふと懐中電灯で手を照らすと、血の色が透けて見えた。そのとき歌詞が浮かんできたと。

柳濑嵩先生回想说,实际上这并非是我状态最好时创作的歌曲。由于身负长篇漫画,所以工作急剧减少。在深夜的工作室,不经意的用手电筒照自己的手,看到了手上透出的血色。这时,歌词浮现在了眼前。

「アンパンマンの作者」で通る前は、「手のひらを太陽に」のやなせさんと紹介されることが多かったそうだ。絵も歌も子どもたちを陽気にさせ、元気を呼ぶ。かつて小さかった大人も心が跳ねる。

在以“面包超人的作者”闻名之前,很多时候都被介绍为《阳光透过我手心》的作者柳濑先生。无论是他的画还是他的歌。都让孩子们高兴,唤起他们的精神。让曾经幼小过的大人也心跳加速。

歌われて半世紀、日本は戦後で一番元気のないときだろうか。〈手のひらを太陽にすかしてみれば まっかに流れるぼくの血潮……〉。血の通う手と手のつながりが今ほど大事なときもない。

这首歌被传唱后的半个世纪,是日本在战后的最低谷吧。“把手掌对着太阳,看到我的鲜血流淌……”。生机勃勃的手互相牵起,现在没有比这更重要的事了。

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