【日本文化略知一二】敗戦から民主国家への道 (下)
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この憲法に基づいて、婦人参政権の付与、労働組合の育成、教育の民主化、経済の民主化など、一連の民主改革が行われた。治安維持法など圧政的諸法が撤廃され、日本軍国主義の基盤を成した三井、三菱、住友、安田の4大財閥は解体され、地主制も農地改革によって、ほぼ消滅した。
このように国内法を整備した上で、GHQは1946年4月、戦後第1回目の総選挙を実施した。この選挙では、参政権が認められた女性候補も79人が立候補し、39人が当選した。選挙の結果は自由党が第一党となり、自由党の吉田茂が首相に選ばれた。この吉田茂こそ、日本の戦後の保守派を代表する政治家として、5回にわたり内閣を組織し、サンフランシスコ平和条約、日米安保条約など、戦後の日本の枠組みを作った人物である。
しかし、GHQによる日本の民主化政策と非軍事化は1948年を境としてしだいに変化を始めた。それはヨーロッパでアメリカとソ連の対立が深まり、東西冷戦が始まったからである。中国においても、中国内戦は国民党より共産党・人民解放軍が圧倒的に優勢に進んでいた。GHQは日本を極東での反共の防波堤にする必要に迫られた。GHQは先ず日本経済安定のための「経済安定9原則」を発表し、新経済政策「ドッジ・ライン」(1949年)を実施した。この財政金融引締めと対外為替レートの固定化(1ドル=360円)政策は功を奏し、インフレは収束し、企業経営の合理化、資本の蓄積が促された。一方で、マッカーサーは「ソ連の手先、共産党の撲滅」を宣言し、共産党員の公職追放を強行した。これはレッドパージと呼ばれるが、この弾圧によって、教員、公務員、民間企業などで3万人に及ぶ人々が職を追われた。
1949年、「中華人民共和国」が誕生し、アジアに初の社会主義国が生まれた。朝鮮半島では38度線を挟んで、「朝鮮民主主義人民共和国」(北朝鮮と「大韓民国」(韓国)という分裂国家が誕生した。1950年6月25日、この国境線が突然火を噴いた。朝鮮戦争の勃発である。
下期预告:奇跡の戦後復興からバブル崩壊へ
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