《伯爵与妖精》卷二:小心甜蜜的陷阱第一章1.7
「このまえ、ひとりで下町の方へ出かけるのを見たぞ。いつもの完璧(かんぺき)なファッションからは想像できないくらい、小汚い格好で庶民に紛れ込んでた」
「人違いではありませんか?」
「間違うもんか。あいつのド金髪はダサイ帽子で隠せても、存在感は隠せやしない。どうしたって目立つんだよ。あんたもわかるだろ。何が違うのかわかんねえが、違うって思わせる雰囲気を持ってるんだ」
「そうかもしれませんね」
「じゃあ三日前、奴が馬車に乗せてた娘、誰だ?」
「どなたか乗せておりましたか」
「ウォルポール嬢(じょう)……、って呼ばれてたそうだけど、それってどうなのかね。奴がねらってるわけ?」
「さあ、よく存じません」
「ふう、執事は主人の秘密をもらさないってやつかい? よくできた執事だよ」
トムキンスは、ぶ厚い唇(くちびる)を微笑(ほほえ)みの形にゆがませただけだった。
さかな。
とニコに舌なめずりを誘う風貌(ふうぼう)は、メロウに似ているせいだろう。
ニコはふと、テーブルの上の缶詰に目をやった。
「そうだ、あれ開けてくれよ。缶詰」
「このままお召し上がりに?」
「ちょっと味見するだけさ」
ポケットから、執事はノミを取り出す。何でも持ち歩いてるんだな、とニコは感心する。
本当にロンドンいちうまい食べ物なのだろうかと、じっと缶を見つめながらよだれを飲み込む。そのとき、缶が微妙に震(ふる)えたように見えた。
食べようとしているニコに抵抗するような、敵意のこもった気配(けはい)を感じる。
「ちょっと待った!」
ノミで穴を開けようとしていた執事を、ニコは止めた。
そして缶をつついたり、振ってみたり、軽く牙を立ててみたりした。
もういちどテーブルに置けば、それは逃れるようにかすかに動いた。
何か、得体の知れないものが入っている?
しかし、缶という密閉された構造上、開けなければ中身はわからず、何が入っているかわからないのに、むやみに開けるのは危険すぎるだろう。
「とりあえず、味見はやめとくよ」
腕を組んで、缶詰を見おろしながらニコは言った。
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