《伯爵与妖精》卷二第二章魔兽的妖精之卵2.1
それはブラジルで英国人によって助けられたという少年の話だったが、彼はロンドンからさらわれ、農場に売られたと言っているのだそうだ。彼が乗せられた船には、同じ境遇の少年少女が何人もいたという。
『ロンドンの街角から、急に姿を消す子供は絶えない。"霧男"にさらわれるなどという妄想(もうそう)が真実みを帯びるほど、ほとんどの場合、消えた子供たちの行方は知れない』
そんなふうにまとめられていた。
「ほかにも似たような記事の切り抜きを集めてあった。よからぬことをたくらんでるのは間違いないんだよ。あんたが襲(おそ)われかけたことも、無関係じゃないかもよ」
「……あれもエドガーの仕業(しわざ)だって言うの? レイヴンが殺してしまったのよ」
「うーむ、なんかよくわからんが、やっぱりあいつのまわりは危険なんだって。リディア、とっととスコットランドへ帰るか? とはいったって、伯爵さまと縁を切るのは容易じゃなさそうだがな」
エドガーはかつて、奴隷(どれい)として売られたことがあると言っていた。こんな記事を集めるのも、そのころのことを調べている可能性もある。
人としての自由を奪われ、売られた経験のある者が、また誰かを売るなんてことをするだろうか。
そう思いたいのは、世間知らずのリディアのあまさかもしれないけれど。
「お嬢さま、ビスケットが焦(こ)げてしまいますよ」
メイドの声に、あわててかまどを覗(のぞ)き込む。鉄板を取り出せば、どうにか焦げついてはいなかった。
「よかった。久しぶりに焼いたけど、ちゃんと母さまの味になったかしら」
今日は日曜日だ。そしてめずらしく父が家にいる。朝から親子で教会に出かけ、午後のお茶のために、リディアは母のレシピで菓子を焼いた。エドガーのことさえなければ、心穏やかに過ごせるはずの休日なのだ。
エドガーの邸宅(パレス)とはくらべようもないが、リディアの父が暮らすこの家では、メイドと料理女を雇っている。リディアが自分で家事をする必要などないのだが、母がそうしていたように、ビスケットを焼くことだけは自分の役目だと思っている。
フェアリードクターだった母の、ハーブ入りビスケットは、妖精にふるまうためのものでもあったからだ。
リディアは、ひとつをかまどの火の中に、もうひとつを窓辺に置く。ニコはとっくに、焼きたてにかじりついている。
お茶を淹(い)れるのはメイドに任せ、ビスケットを盛った皿を手に、居間へ向かう。
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