魔幻小说:《伯爵与妖精》卷一 第二章2.4
「やめとけリディア、伯爵さまを傷つけようとした女だって、殺されるぞ」
洗面室にレイヴンの黒い後ろ姿を見つけ、近づいていこうとすれば、ニコのささやきが聞こえた。
まさか。と不安になりながらも、紅茶をかけておいてこのまま無視するのも気が引ける。
レイヴンは、歩み寄るリディアの足音には気づいているだろうが、振り返らない。
「あの、火傷(やけど)になった?」
おそるおそる、声をかける。
「たいしたことはありません。それより」
ようやく振り向いた顔は、相変わらずにこりともしなかったが、怒っているようにも見えなかった。
「あなたの言うように、あのときエドガーさまを止めるべきでした」
「そしたら、エドガーは紅茶を投げつけられずにすんだってこと?」
「まさかレディが、そんなことをするとは想像しませんでしたので」
少々むっとしたリディアは、彼に怪我をさせたすまない気持ちが半減した。
「言っておきますけど、エドガーにせまられてよろこぶ女ばかりじゃないのよ」
「ええ、勉強になりました」
きまじめな返事は、どうやらリディアをからかっているのでも、責めているのでもないようだ。言葉を飾らないぶん、無表情でもエドガーよりわかりやすいかもしれなかった。
「あなた、お幾(いく)つ?」
ついでに、疑問に思っていたことを訊(き)いてみる。
「十八歳です」
「そうなの。あたしよりひとつ上なのね」
「童顔ですから」
それもきまじめに言う。
たしかに、瞳が大きいせいか、実際の年齢よりいくぶん少年ぼく見える。だからこそ笑えば、とても人なつっこい印象になりそうなのにと思う。
「ねえ、もし、エドガーが人を殺そうとしてても、本当に止めないの?」
「止めるというよりは、私が殺すでしょう」
けれども、平然と言ってのけるところにぞくりとさせられた。エドガーとは違って、この人が言うと冗談には聞こえない。
「主人のために手を汚すの? でもそこまでするのって、忠誠心をはき違えてない?」
「私が罪を犯すとしたら、それはエドガーさまのためだけ。それ以外の人殺しはしなくていいのだと教えてくださいました。理解するのには、時間がかかりましたが」
意味が、よくわからない。ただリディアは、暗い底なしの淵(ふち)に立たされているような気分になった。
レイヴンの、漆黒(しっこく)の髪と同じ色だと思っていた瞳は、こうして近くで見れば、深い緑がかっている。
精霊の血を引くというのは、もしかしたらこの瞳のせいだろうか。そう思えば引きこまれる。
すると彼も、じっと彼女の目を覗き込んだ。
「あ、ごめんなさい。あなたの目の色が気になって。ほら、あたしも緑の目なの。こちらでは緑は妖精の色だから、それもあたしの場合は妖精が見えたりするわけだし、他にもいろいろ妖精のイメージに重なっちゃうみたいで、取り換え子って呼ばれてるわ。あの、取り換え子っていうのは、妖精が人間の赤ん坊をさらって、代わりに自分たちの子供を人に育てさせるのだけど」
はからずとも見つめ合ってしまった気まずさに、まくしたてたリディアが、一息つくのを待って、彼は言った。
「精霊は森に棲(す)むもの。イングランドの森は淡く、あなたの瞳のように陽(ひ)の光をまとった色。私の故郷は、鬱蒼(うっそう)と茂る、光の届かない濃い緑。私には、この国の妖精たちは明るすぎてよく見えませんが、私の精霊もあなたには見えないのでしょうね」
ほんのかすかに、彼が笑ったようにも見えた。それはそれは、暗く淋しい微笑(ほほえ)みで、同じように精霊とつながる能力を持っているのだとしても、違う種類の人なのだという気にさせられた。
異国の、精霊の化身(けしん)。
青騎士|卿(きょう)は旅を好み、遠い異国でのできごとを物語っては、宮廷をわかせたともいう。
東洋の国々は、そのころはまだ、英国人にとって妖精国よりも遠く、謎に満ちた場所だった。
不思議な家来を引き連れ、妖精の国から来た伯爵の物語。
ふとリディアは、遠い昔の伝説に、青騎士卿の冒険譚(ぼうけんたん)に自分が巻き込まれているような気分になった。
彼らは、再び人間界へやって来た、青騎士伯爵とその家来?
それとも、強盗殺人鬼?
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