魔幻小说:《伯爵与妖精》卷一 第二章2.4
スカーバラの港で船を下りたリディアたちは、鉄道で西へ向かっていた。
窓から見える風景は単調だ。そして汽車の中では、不穏(ふおん)な気持ちのまま、コンパートメントでエドガーと向かい合っていなければならないのが、リディアには苦痛だった。
彼女はしばしば、意味もなく席を立った。
「おいおい、あんまりそわそわしてると、不審(ふしん)に思われるぜ」
二本足で立ったまま、ニコが通路に姿を現す。
「ねえニコ、さっきの話だけど、まさか……ねえ」
「軍人さんが違うと判断したんだから、違うんじゃねーの?」
「そうよね、強盗殺人犯があの完璧(かんぺき)なキングスイングリッシュをしゃべるとは思えないもの」
そう思うのに、何かが引っかかる。
最初からエドガーにまとわりつく、胡散臭(うさんくさ)さのせいだ。
「だからさ、舌を調べりゃいいんだよ」
少佐たちの話を立ち聞きしたニコから、リディアは十字(クロス)の入れ墨の話を聞かされていた。
舌に入れ墨なんて、どれほど頭がイカレたら思いついてそのうえ実行するのかと理解に苦しむ。しかし、その情報は貴重だった。どうすれば確認できるのか、ニコに話を聞いた船の中から、リディアはずっと悩んでいるのだ。
「けど、舌なんかふつう見えないもの。それに入れ墨はアメリカでの話で、何もなかったとしても、ロンドンの事件の犯人じゃないって証拠にはならないんでしょ?」
「とりあえず、人殺しでなきゃ安心できるだろ。ロンドンではいちおう、被害者は生きてるんだから」
それはたまたまではないのだろうか。でもまあ、ニコの言うとおりかもしれない。
できればはっきりさせたい。
しかし結局、何のアイディアもないまま、リディアはコンパートメントに戻ってくる。
エドガーの方を見れば、ステッキをひざに置いたまま、窓に寄りかかって目を閉じていた。
居眠りしているのだろうか。
この隙に、どうにかして……。
忍び足でリディアは彼に近づいてみる。目を覚ます気配はない。頬杖(ほおづえ)をついたうたた寝でさえ優雅で、絵画にすればそのまま豪華な額縁(がくぶち)に納まってしまいそうだ。
金の髪が白い頬に淡く影を落とす。
リディアは唇に注目する。
けれどいくら口元を凝視しても、舌が見えるわけはない。
口に指を突っ込んだりしたら、いくらなんでも起きるだろう。そう思いながらもリディアは視線を惹(ひ)きつけられ、エドガーの前に身を屈めたままその場を離れられなかった。
(男の人って、ふつうもっとごつごつしてない?)
長いまつげ、形のいい唇、細いあご。美術品を鑑賞するかのような気持ちで、なんとなく、触れてみたい衝動(しょうどう)にかられる。
指をのばしかけたとき、ふっと唇が動いた。それは薄く笑みを浮かべる。
まぶたを開いた彼と、間近で目が合う。
「何か?」
リディアはそのまま固まった。人差し指を彼の鼻先で止めたままだ。
「このまま唇を寄せてくれるなら、寝たふりしておこうと思ったんだけど、つつかれそうになるとは思わなかった」
「え……と、これは……」
「べつに、さわってもいいよ」
「は、そんなこと」
あわてて手を引っ込める。その場から逃げ出そうとすれば、エドガーに肩をつかまれた。
「ああごめん、女性に恥をかかせちゃいけないね。きみの期待になら、よろこんで応えよう」
さらに顔を近づけられ、リディアはあわてふためいた。
「ち、違うの! 舌を……」
「舌? |フランス風(ディープ・キス)が好みとは」
「な、何考えてんのよこの……!」
必死でエドガーを押しのけようとしながら、彼の肩越しにリディアは、お茶を運んできたレイヴンの姿を見ていた。
が、彼は、リディアが座席に押し倒されようとしているのもかまわず、無表情のまま、お茶をテーブルに置いて去ろうとした。
「ちょっと、そこのあなた、助けなさいよっ!」
「レイヴンはね、僕が今きみの細い首をへし折ろうとしてたって止めやしないよ」
とんでもない忠誠心。こいつらみんな、強盗仲間?
無性(むしょう)に腹が立った。一瞬我を忘れ、相手がいちおう伯爵(はくしゃく)だと、ほんの少しだが遠慮していた意識が飛ぶと、極悪人に手向かっているつもりで手を振りあげた。
平手が命中し、ようやくエドガーはリディアを離す。しかし彼女は、それだけではおさまらず、目についたティーカップを投げつけようとした。
「エドガーさま!」
レイヴンの声に、リディアは我に返る。
けれどそのときすでに、割り込んだレイヴンの腕に、熱い紅茶がかかっていた。
「ご……ごめんなさい。ねえ、すぐ冷やさなきゃ」
「大丈夫です、ご心配なく。お茶を入れ直してきます」
「もういいから、アーミンに手当をしてもらえ」
主人の言葉には素直に頷(うなず)き、出ていくレイヴンを、リディアはため息とともに見送った。
「まあそう気にしないで」
しれっとエドガーは言う。
「あ、あなたがいけないんじゃない! むりやり……、それに首をへし折るとか、怖いこと言うから」
「それはもののたとえだよ」
「あなたにお茶がかかってたらよかったのよ! あたしはレイヴンに怪我(けが)させるつもりなんかなかったんだから」
「はあ、じゃあ殴られた僕のことは気にしてくれないのか」
「当然でしょ!」
ぴしゃりと言って、彼女はコンパートメントを飛び出した。
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