魔幻小说:《伯爵与妖精》卷一第三章3.5
「まったく、やってらんねーよな」
ニコはつぶやきながら、途方に暮れた顔つきでリディアの方を見ている青年に、スコーンをひとつ放り投げた。
頭に当たって、彼は振り向く。まだ、わけがわからない様子で首を傾げているのは、リディアが逃げなかった理由に悩んでいるのか、それとも、前足でスコーンをかかえている猫の方が不可解なのか、どちらだろう。
そばに落ちたスコーンのことも、猫に食べ物を恵んでもらったとは思いたくなさそうにちらりと見やる。
「食えよ」
しかしニコは、わざと横柄(おうへい)に言ってやる。
「ええと、ニコ、だったかな。せっかくだけれど遠慮するよ。君が熱い紅茶にこだわるように、食べ物を恵んでもらうのは僕の主義にかかわるんでね」
「ふーん、おれの言ったこと聞こえてんじゃないか」
「……なんとなくだけどきみ、感じ悪いよ」
「ああそうか。あんた、聞こえてんだけどそうとは意識できないタイプか。そういう中途半端な人間もたまにいるわな。まあいいけどね、おれの言うこと理解できるんならさ。いいか、この大悪党、リディアに何かしたらただじゃおかないからな」
口を大きく開け、牙を見せたニコの、敵意は通じたようだった。
「そう、リディアのことが心配なんだね」
彼は、再びリディアの方に視線を動かした。
「どうして、逃げなかったのかな」
「知らねえよ」
ニコにとっては、大きな不満だ。
悪党が自分で死んでくれるなら、その方が世間のためだと言ってやったのに、リディアは出て行かなかった。
結局、リディアのために怪我を負ったエドガーへの同情が勝ったのか。本当に彼が死んでしまったら、後味が悪いと思ったのか。
たぶんリディアは、頼られたら突き放せないのだとニコは思う。妖精の取り換え子と言われ、さんざん変人扱いされながらも、彼女は人を憎んだことがない。
それどころか、人と妖精をつなぐ架(か)け橋に、自分のような能力を持つ者がいるのだと信じ、いつか誰かに必要とされるはずだと思っている。
今は彼女をバカにしている町の住人を相手に、フェアリードクターの看板を掲げていることからして、お人好しきわまりないが、もしも誰かが困っていたなら、迷わず親身になるだろう。
だからエドガーのことも、見殺しにするほど憎めなかったのだ。
「まさか、僕に惚(ほ)れたとか」
「ありえねえだろ」
「だろうね」
さし込む淡い光が、リディアの髪を紅茶色に輝かせる。
立ちあがったエドガーが、ゆっくりとリディアに近づこうとする。ニコはさっと、彼女のひざに飛び乗った。
「近づくなってかい? ちょっとさわるだけだから、大目に見てくれ」
「ふざけんな」
かまわず彼は手をのばす。頬(ほお)にかかる、さらさらした髪の毛に触れる。
リディアは、うっすらとまぶたを開いた。
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