《伯爵与妖精》卷二:小心甜蜜的陷阱第一章1.3
復活祭(イースター)をすぎたというのに、春風は道草でもくっているのか、ロンドンは一向(いっこう)に春らしくならず、霧の日が続いていた。
いったいいつまで、ロンドンにいることになるのだろう。もともとリディアは、父と復活祭を過ごすために、スコットランドの田舎(いなか)町から出てきただけのつもりだった。
ロンドン大学の教授として、こちらで暮らしているリディアの父は、本当のところ、娘をひとりだけでスコットランドの自宅へ置いておくのは心配だったようで、このままこちらで暮らせばいいと言う。
けれどリディアにとって田舎の家は、幼い頃に亡くした母とのかすかな記憶の拠(よ)り所でもあるし、何より草木と妖精の多い場所で気に入っている。
祖母が亡くなり、リディアがひとりだけになったときも、だから父は無理にロンドンへ呼び寄せようとはしなかった。今も、リディアが田舎暮らしを選んでも、認めてくれるだろう。
しかし、問題なのはエドガーだ。
伯爵(はくしゃく)家に雇われたからには、エドガーが許可してくれないと、勝手にロンドンを離れるわけにもいかない。
ただリディアは、どちらかというと一方的なやり方で雇われることになったわけで、解雇(かいこ)されることを怖れる必要もないのだから、そのへんは強気な気持ちでいる。
妖精にかかわる仕事なんて、しょっちゅうあるわけではないし、エドガーの遊びにつきあうことが仕事だとはとても思えないから、雇われフェアリードクターのまま田舎に引きこもることも可能なのではないか。
それをうまくエドガーに認めさせる方法はないものかと考えながら、リディアは公園へ向かい、ぶらぶらと歩いていた。
「まあったく、こっちの魚はまずいったら」
そう言ったのは、いつのまにかそばにいた猫だ。
いや、猫ではなく妖精なのだが、今は煉瓦塀(れんがべい)の上を、猫のふりをして四つんばいになって歩いていた。
「ニコ、店先でつまみ食いするのはやめなさいよね」
「野良猫どもでさえ寄りつかないわけがわかったよ。おれの食いもんじゃねえ」
人通りが少なくなるのを見計らって、塀から飛びおりたニコは、二本足で立つ。ふさふさした灰色の毛並みと、首のネクタイをささっと整え、紳士気取りで胸を張る。
「じゃあ、それは何なの?」
しっぽでくるりと大事そうに包み込んでいるものに、リディアは気がついた。
「カンヅメだとさ。軒下で昼寝してた|家付き妖精(ホブゴブリン)の話じゃ、ロンドンでいちばんうまいんだそうだ」
「でもそれ、魚の缶詰よ」
「なにい、魚? こんな魚見たことないぞ」
「だから缶の中身よ。魚のハーブ漬けって、ラベルに書いてあるじゃない」
「えっ、これは入れ物なのか? そんなはずないだろ、入れるところがないじゃねえか」
「まあそうね。ふたが溶接(ようせつ)されてるんだから、道具がないと開けられないわね」
缶をくるくると眺め回し、たたいて硬さを確かめていたニコは、理解するとともに頭にきたらしく、背中の毛を逆立てた。
「くっそーっ、あのホブゴブリンめ、だましやがったな! 自分で開けられなくて食えないからって、おれのクルミパンを横取りしやがって! それも中身が魚だと?」
彼が投げ捨てようとした缶詰を、リディアは手に取った。
「まあいいじゃない。あとで開けてもらいましょう。魚でも、これは遠くで捕れたものよ、きっと」
それから彼女はニコとともに、緑|生(お)い茂る公園の小道へと入っていった。
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