魔幻小说:《伯爵与妖精》卷一 第二章2.2
「レイヴン」
リディアの提示に何の感想もはさまず、彼は召使いを呼んだ。
レイヴンは、指示も聞かずにさっと部屋から出ていくと、じきにまた戻ってくる。その手には当然のように、小切手を乗せた黒檀(こくたん)のトレイがあった。
リディアの目の前で、エドガーはサインを入れる。渡された小切手を見て、リディアは「え」と声をあげそうになった。
「それでいい?」
五十ポンドとものすごくふっかけたつもりだったのに、五百?
こんな大金をぽんと渡されては、かえって恥ずかしくて、訂正できないではないか。
「契約(けいやく)成立だね。期待しているよ」
エドガーが立ちあがりかけたとき、レイヴンがはじめて、リディアに声をかけた。
「レディ、お手紙お出ししておきましょうか?」
デスクに置いた封筒を見つけたようだ。よく気がつく召使い。ふだんならリディアはそう思っただろうが、さすがにそのときは、瞬時に不穏(ふおん)な空気を感じ取った。
レイヴンは、リディアが部外者と接触を持とうとしていることに気づいて、わざとエドガーに聞こえるようにそう言ったのだ。
「いいの、自分で出すわ」
あわててそう返すが、エドガーが封書に鋭い視線を送ったのがわかる。
「誰に手紙を?」
「……父さまによ。ロンドンに着くのが遅れるって、連絡しておかなきゃ。いけないの?」
「こちらの動きがもれてしまうようなことは困る。ハスクリーたちに先回りされてしまう」
「ただ遅れるってことを報(しら)せるだけじゃない」
「それだけでも、きみが僕に協力していることは明白だ。いいかいリディア、契約成立した以上、僕が雇い主だ。秘密は厳守(げんしゅ)してもらわなければならないし、言うとおりにしてもらいたい」
きつい口調ではなかったが、有無(うむ)を言わせない独特の迫力があった。
人を従わせることに慣れている。静謐(せいひつ)な眼差しや凛(りん)と通る声質や、すっくと立った姿勢や、何もかもが貴族の本質をそなえていて、彼の言葉を絶対だと思わせる。
かすかに反発を覚えながらも、リディアは黙るしかない。
「無理を言ってすまないね。けれどリディア、僕をわずらわせないでくれ。その方がきみのためだよ」
ひそかに手紙を投函(とうかん)したりすれば、海に放り込まれるのだろうか。そんな不安がふとよぎるような、おだやかな声音だった。
おだやかなのに怖いと思う、奇妙な感覚。
リディアにわかるのは、結局、ハスクリーに軟禁(なんきん)されかかったのと同じ状態なのではないかということだけだ。
エドガーとハスクリーと、どちらがリディアにとってましな相手なのか、くらべようもないからわからない。けれど向こうの方が、もっとわかりやすい相手だっただろうとは思う。
父への手紙は、デスクの上に残されたままだが、取りあげようとまでしないのは、投函させない自信があるからだろう。
事実リディアは、そうする気力を失っている。
忠実な召使いは、エドガーにとって単なる使用人ではなく、利口な右腕だ。それとも共犯者というくらいの連帯感を、リディアは見たような気がしていた。
ひょっとすると本当に、エドガーを傷つけた者を殺すくらいのことはするかもしれない。
「おい、今度からミルクティはもっと熱くしてくれよ。おれは猫舌じゃねーんだよ」
出ていこうとしたエドガーとレイヴンに、ニコが言った。どういうつもりでいきなり言葉を発したのか、ニコの方をリディアは凝視したが、エドガーは気づいたふうもなく、レイヴンがかすかに振り返ったが、空耳とでも判断したのかすぐに主人のあとに続いた。
「青騎士卿(きょう)の子孫ね。猫がしゃべるとは、ハナから信じないおつむじゃ、妖精は見えやしねーだろうし、理解もできないだろうぜ」
だとしたら結局、にせ者に協力することになるのだろうか。
どのみち、選択の余地などないのだ。リディアは、とらわれの身になったかのような脱力感を覚えていた。
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