魔幻小说:《伯爵与妖精》卷一 第三章3.2
リディアはもう、黙って聞いているしかない。エドガーは他人事(ひとごと)みたいに、表情ひとつ変えずに語り続けた。
「けれど僕は、名前も身分もない死んだはずの人間だ。正当なビジネスでも他人の名義で取り引きする。どこへ逃げても、奴隷の刻印はつきまとい、追っ手の影に怯(おび)え続ける」
「奴隷の……刻印?」
「知っているんだろう? 僕が背負っている十字架のことを。……汽車の中で、調べようとしたじゃないか」
気づいていて、あんなふうにふざけたことを。
むっとしたのが顔に出たのか、彼はそんなリディアに目を細めた。
「かわいい反応をするものだから、つい」
どうして、深刻な話をしながらも、こんなせりふが言えるのか。
「今度は煮え立った湯をぶっかけるわよ」
「もうしないよ」
「いいわ。じゃあ、本当に入れ墨があるのね」
「入れ墨じゃないよ、焼き印だ。僕を死なせなかった男が、自分の家畜につけたしるしさ。どこから入れ墨の噂が流れたのか知らないが、あちこちのギャングがまねしたらしくて、おかげで隠れ蓑(みの)になったけどね」
サー?ジョンを模倣(もほう)する強盗団のリーダーが、あちこちにいたということだ。
ならば残忍な人殺しの噂は、本当のところ誰がやったことかわからない。リディアはいつのまにか、そんなふうに都合よく考えているのだった。
「じゃあ、ゴッサムという人は? どうやってあなたは英国へ帰ってきたの?」
「ゴッサムは医者で、人体実験の材料を探しにアメリカへ来た。それも奴は、精神医学の研究のために、犯罪者の脳ミソをほしがっていた」
「の、脳ミソって……、それに人体実験?」
「そうだ。密告があってつかまった僕は、数日後に絞首刑が決まっていた。それを極秘に、ゴッサムがすり替えた。関係者にかなりの金を積んだはずだ」
「それで、脳ミソを取られたの?」
「おもしろいことを言うね」
そうかしら、と思うリディアは、話の内容があまりに常識離れしていて、受け入れられなくなってきていた。
ほどいたネクタイを包帯代わりに、傷口に巻きつけた彼は、そういったことに手慣れている様子だ。
きっと、怪我なんて日常茶飯事(さはんじ)だったのだろう。
「せっかく生きた犯罪者をロンドンまで運んできたんだから、いろんなデータを取ろうとしたんだよ。薬物を投与されたり、拷問(ごうもん)同然の苦痛の数々。実験体は僕だけではなかったし、生きたまま頭を開けられ、中身をいじられた被験者も見た。奴は犯罪者の研究だけでなく、罪のない人間も実験に使って大勢殺している」
想像しただけで気分が悪くなる。リディアには、そんな世界は理解できそうにない。陰謀(いんぼう)と狂気がうずまく裏社会。そこに巻き込まれた人間が何を見て、何を感じるのか想像もできない。
だからたぶん、この人のことは、自分には理解しきれないのだろう。
「あたしには、妖精がいることよりも、人のそんなゆがんだ心の方が信じられないわ。平気で人を売買したり、実験材料にしたり、良心を持たない人間がいるというの?」
リディアは目を伏せ、そう言うのがやっとだった。
「きみは幸福な少女だ。でもね、人はどんな残酷(ざんこく)なことでもする生き物なんだよ」
空気が動く気配を感じ、はっと顔をあげる。
いつのまにかエドガーがすぐそばに立って、リディアを見おろしていた。
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