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每日阅读(4.6):冲绳

时间:2008-04-06 10:51:38  来源:本站原创  作者:Echo

 

60年前の6月23日は、沖縄戦で日本軍の組織的な戦闘が終わった日とされる。その15年後の同じ日には、新しい日米安保条約が発効した。6月23日は、沖縄戦で失われた二十数万の人々を慰霊する日だが、安保の名の下で、沖縄に多くの米軍基地を置き続けることが事実上決められた日でもある。

 

       (日米安保条約:昭和二六年(一九五一)九月、サンフランシスコ講和条約調印と同時に日米間で締結された条約。日本の安全を保障するため、米軍の日本駐留などを定めた。同三五年(一九六〇)新条約に改定され、軍事行動に関して両国の事前協議・相互協力義務などが新たに加えられた。期限は一〇年で、それ以後は通告後一年で廃棄できる。同四五年(一九七〇)から自動延長されている。正式名称は「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」。安保条約。)

 

    60年前的6月23日,是冲绳战役中日本军队组织性战斗的终止之日。15年后的同一天,新的日美安全保障条约正式生效。6月23日是奠祭冲绳战役中二十几万亡魂之日,但同时也是在安保的名义下,让大量美军军事基地持续占据于冲绳境内这一决定生效之日。

 

 戦後、日本が独立したのは、51年のサンフランシスコ講和条約の調印によってだった。沖縄はこの条約に基づいて米国の施政下に置かれた。旧安保条約の調印もなされた。

サンフランシスコ:圣弗兰西斯科

調印:(在条约,协定等文件上)签字,盖章

 

       战后,日本的独立是依据51年的圣弗兰西斯科和约的签订。基于此条约,冲绳被置于美国的政治范围内。同时签订了旧安保条约。

 

 それから半世紀以上が過ぎた。冷戦が終わってからも久しいのに、沖縄の米軍基地は、いまだに圧倒的な規模で存在している。昨年、米軍のヘリコプターが大学に墜落したが、日本の警察は現場検証が何日もできなかった。これでは、日本は果たして本当に独立しているのかという思いすら浮かぶ。

 

       之后过了半个多世纪。冷战结束已过了很长时间了,但冲绳的美国基地现在仍以压倒性规模存在。去年,美军的直升飞机坠落于某大学,日本警方的现场验证却迟迟没有被通过。这不由得让人怀疑,日本是否实现了真正的独立。

 

 沖縄に行けば、海外の戦場と直結していることを実感する。ベトナム戦争のころは、飛び立った爆撃機がベトナムの人々を襲った。

ベトナム:越南

 

       如果去到冲绳,便能切实感受到这里与海外战场直接相关联。在越南战争时期,腾空而起的轰炸机轰袭了不少越南人。

 

 北ベトナムへの空爆が始まったのは65年だった。翌年来日した哲学者ジャン・ポール・サルトルが講演会で述べた。「知識人は、この戦争は、世界一豊かな国であるアメリカが、貧しい国に対して行っている侵略なのだということを、暴露して行かなくてはならない」

 

 戦後の実存主義の代表格で、ノーベル文学賞を拒絶した。9・11からイラク戦争に至った世界を見たなら、「嘔吐」「壁」「出口なし」の作家は、どう語ることだろうか。80年に没したが、今月が生誕から100年にあたる。

 

       作为战后的存在主义的代表人物,他拒绝了领受诺贝尔奖.从911到伊拉克战争,如果看到了这样的世界,曾经写下《呕吐》,《隔离》,《没有出口》的那位作家又该会说些什么?他在80年与世长辞,这个月,正是他100岁诞辰。

 

( 查了一下资料,文章最后说到的这个作家即是存在主义哲学思想的创始人萨特。

       萨特1905年6月21日出生于巴黎,1980年4月15日逝世于巴黎鲁塞医院,终年75岁。萨特是当代法国哲学界、文学界的首要人物,是存在主义哲学思想创始人,社会活动家,自由斗士,更是影响了法国以至全世界整整两代文学家和思想家的文学巨匠。法国前总统德斯坦说,萨特的逝世“就像我们这个时代陨落了一颗明亮的智慧之星”。)

 

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