每日阅读(4.18):地震
1923年、大正12年9月1日の昼前、寺田寅彦は東京・上野で絵の展覧会を見た。11時58分、喫茶店で紅茶を飲んでいるときに、関東大震災に遭う。
1923年,大正12年9月1日的上午,寺田寅彦在东京上野参观了画展。11点58分,他在咖啡店喝红茶时,正好碰上了关东大震灾。
両足のうらを下から木槌(きづち)で急速に乱打されるように感じた。物理学者でもあった人らしい表現だ。次いで、大きな揺れが来た。われ先に出口に駆け出す人たちがいる一方、ビフテキを食べ続ける客もいた。
他能感觉到像有木槌从双腿根部开始急速撞击,这确实像物理学家的反应。接下来,能感觉得到有大幅度的震动。有人争先恐后地往出口处外逃,也有人不慌不忙地继续吃着牛排。
震災時の東京を、作家の著作で横断的に見ると、揺れや被害は場所によってかなり違った。家の被害が瓦の落下程度だった芥川龍之介は、早々と見舞いに出かけた。室生犀星には、子守車にサツマイモやジャガイモをいっぱい積んで届けた。
子守:子供の面倒をみること。また、その人。おもり。
据作家的著作所言,横望震灾时的东京时,能看到其摇晃及受害的程度根据场所的不同而迥异。房屋只落下几片瓦砾的芥川龙之介,很早便出去探望他人了。他将保姆车中存放了一大堆红薯和马铃薯,去看望室生犀星。
犀星は、生まれたばかりの赤ん坊と妻が入院していた都心の病院が焼けたと知らされる。避難先は不明という。その夜はほとんど眠れず、翌日上野の公園を捜し回ってようやく妻子と出会った。
犀星被告知刚出生的孩子和妻子所在的都心医院被烧毁了,避难处不明。那个晚上他几乎整夜未眠,第二天去上野公园寻找,终于碰到了自己的妻儿。
幸田露伴の娘、文は、1日が19歳の誕生日だった。住まいは隅田川の東方で、被害はさほどではなかったが、傷ついた避難民が続々とやってきた。萩(はぎ)すすきが見ごろの庭を休み場に開放したが、誰も入ろうとしない。人々は放心してたたずみ、みとれ、涙をこぼしたという。
見ごろ:見るのに最も適した時期。みどき。「桜は今が―だ」
たたずむ:しばらく立ち止まっている。じっとその場所にいる。「花の下に―・む」
放心:心を奪われたりして、魂が抜けたようにぼんやりすること。「あまりの出来事に―して立ちつくす」「―状態」
幸田露伴的女儿文正在那年九月一号满19岁。她住在隅田川东,受害程度并不大,不过不少受伤的人们都过来避难了。原用于观赏胡枝子芒草的庭院作为休息场开放,但没有人进去。人们都呆呆地站着,茫然地流着眼泪。
芥川が、佐藤春夫に言っている。「地震だからいまいましいよ……たゞ自然が四寸動いただけなのだ……不服の持って行きどころがない」。芥川は、震災で燃える東京を「大いなる溶鉱炉を見るが如し」と記した。自然が動くのは、いまだに止められない。しかし炎の炉の方は、少しでも小さくなるように備えてゆきたい。
芥川对佐藤春夫说。“正因为地震才这么麻烦,地球只不过稍稍移动了四寸距离……我们再不满也无处可去啊。”芥川写到震灾时的东京“就像一个大熔炉”。地球的震动,到现在也无法阻止。但是,熔炉的话,希望至少可以事先做好准备,让它影响的范围更窄一点。
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