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每日阅读(5.16):小泉又次郎と小泉純一郎

时间:2008-05-16 11:32:38  来源:本站原创  作者:Echo

 

戦前の逓信相小泉又次郎氏の肉声を聴く機会が先日あった。小泉首相のおじいさんである。札幌市の元公務員森山正男さん(65)が先月末入手した古いレコード盤に演説が収められていた。電話口でそれを聴かせていただいた。

          前些天,偶有机会亲耳听到小泉首相的爷爷,战前任通信相一职的小泉又次郎的声音。它收纳于札幌市原公务员森山正男先生(65)在上个月末到手的一盘旧唱片中,笔者有幸从电话中拜听到。

 

 「予算成立後の会期最終日に突如議会を解散するとは武士にあるまじき行為。予算食い逃げ内閣である」。昭和12年の春、林銑十郎内閣の唐突な解散を糾弾した。朗々とした声、文語調の言い回し、殺し文句の使い方も巧みだ。その5年後に生まれる孫が後年首相を務め、解散を強行することになるとは知るよしもない。

殺し文句:相手の気持ちを強くひきつける巧みな言葉。男女間で用いたのが始まり。「―にころっとひっかかる」

       “在达成预算后的会期最后一天,突然解散议会实在是武士绝不该有的行为。这种事真只有光吃白食的内阁才做得出。”昭和12年春,小泉又次郎对林铣十郎内阁突然解散这一事件进行了严厉的谴责。铮铮的词句与文言风格的表达方式,同时巧妙加上甜言蜜语。只是当时他不会想到,自己5年后出生的孙子会成为日本首相,并强制解散了议会。

 

 又次郎氏は「入れ墨大臣」と呼ばれた。神奈川県の漁村にとび職の次男として生まれた。背中に竜の図を彫り、港で気の荒い労働者を束ねた。教員や県議をへて衆院当選12回、城山三郎氏の『男子の本懐』(新潮社)にも庶民派大臣として登場する。

       又次郎先生被人称为“刺青大臣”。他是神奈川县的渔村中一个消防员的次子,背上刺有龙的图案,曾在港口统揽了粗野的劳动者。他做过教员,县议,后在众议院当选了12次,在城山三郎先生“男子的本愿”(新潮社)中也作为庶民派大臣登场。

 

 戦前の政界名鑑を開くと、普通選挙運動の闘将として「血を吐くような熱弁」をふるったとか、警官の制止をはねのけて「活火山のごとく」演説したとある。扇動型の弁舌だったらしい。

       翻开战前政界名人鉴,又次郎先生作为普通选举运动的一员猛将,常进行“如火如荼的热辩”,不顾警察的制止,“像活火山一般”狂涌爆发。他好像是属于煽动型的演讲方式。

 

 それに比べると、昨日の小泉首相の所信表明演説には華がなかった。米百俵の逸話を紹介し、墨子やダーウィンを引いた従来の演説と比較しても、平板で高揚感がない。捨て身の衆院選で大勝し、この先何を志すのか聞いてみたかった。

       与其相比,昨天小泉首相在表明信念的演说中的表现就逊色多了。仅管他的演说中介绍了米百表的故事,并从墨子和达尔文的演说中引经据典,但相比之下仍是平淡且没有振奋人心的力量。他如此拼命努力在大选中获胜,之后的目标又是什么呢,还是想听听看。

 

 外見こそ父親似だが、首相の直観や話術は祖父譲りと言われる。ケンカもたんかも上手な「入れ墨又さん」の遺伝子が再び暴れる日が、残り1年の在任中にあるのだろうか。

たんか:喧嘩をする際などの、勢いよく言葉が飛び出す歯切れのよい言葉。

        首相的样貌是与父亲很像,但其凭直觉的观察及说话技巧均在祖父之下。剩下的一年在任时间中,不知道争吵辩论都余刃有余的“刺青又先生”遗传基因的表现是否会再次爆发。

 

6:18——6:56

 

附:

米百俵の逸話

戊辰戦争で敗れた長岡藩は7万4000石から2万4000石に減知され、実収にして6割を失って財政が窮乏し、藩士たちはその日の食にも苦慮する状態であった。このため窮状を見かねた長岡藩の支藩三根山藩から百俵の米が贈られることとなった。

 

藩士たちは、これで生活が少しでも楽になると喜んだが、藩の大参事小林虎三郎は、贈られた米を藩士に分け与えず、売却の上で学校設立の費用(学校設備の費用とも)とすることを決定する。藩士たちはこの通達に驚き反発して虎三郎のもとへと押しかけ抗議するが、それに対し虎三郎は、

 

「百俵の米も、食えばたちまちなくなるが、教育にあてれば明日の一万、百万俵となる」

と諭し、自らの政策を押しきった。

 

この米百俵の売却金によって開校したのが「国漢学校」であった。また、この学校は士族によって建てられた学校であるが、一定の学力に達した庶民の入学も許可された。洋学局と医学局が設置され、洋学局が現在の長岡市立阪之上小学校と新潟県立長岡高等学校、医学局が長岡市内にある長岡赤十字病院とその付属の看護学校が後進となっている。

 

この物語は「米百俵の精神」という言葉になり、小泉純一郎(内閣総理大臣)による所信表明演説で引用されて有名になり、2001年の流行語になった。

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