每日阅读(5.19):ワンマン宰相の吉田茂
ワンマン宰相の異名をとった吉田茂は、人を食ったような逸話をいくつも残している。若き外交官時代、旧知の寺内正毅(まさたけ)首相に「秘書官になれ」と言われ、「総理大臣は務まると思いますが、総理大臣秘書官は務まりません」と答えて「出世」を棒に振った。
ワンマン:1 他の人の意見や批判に耳を貸さず、自分の思いどおりに支配する人。独裁的な人。「―社長」
2 外来語の上に付いて複合語をつくり、ひとりの、ひとりだけの、などの意を表す。「―チーム」
棒に振る:それまで積み重ねてきたものを無にしてしまう。「地位を―・る」
不少流传至今的传说中说到外号为“独裁宰相”的吉田茂甚至吃过人肉。在他还是一名年轻的外交官时,故交寺内正毅首相曾跟他说“成为秘书官吧”,但他回答说,“我想做的是总理大臣,而不是总理大臣的秘书官”,于是白白断送了自己的前途。
戦後は、戦犯容疑者に指定されて自殺した近衛文麿(ふみまろ)の家を借りて、来客に「ここに寝ていたら、近衛が出てくるだろうと思ってね」と平然と語っている。その破天荒さは時に、したたかな実利主義とも結びついた。
したたか:(形動)[文]ナリ
(1)強くて手ごわいさま。一筋縄ではいかないさま。「―なやつ」
(2)強そうなさま。いかめしいようす。「力が強く勇気があつて―な豪傑である/社会百面相(魯庵)」
(3)しっかりしているさま。確かなさま。
(4)大げさなさま。はなはだしいさま。
(副)程度のはなはだしいさま。ひどく。「頭を―打った」「―に酔う」
战后,他借住在被判决为战争嫌疑犯而自杀的近卫文磨家里,他平静地对客人说:“睡在这,感觉近卫还会出来吧。”在那个破天荒的时代中,他与强硬的实利主义结缘。
再軍備を迫る米国にしぶとく抵抗した吉田の軽武装経済中心路線が、戦後日本の繁栄の基礎を作ったことは、よく知られている。「そうした商人的政治観は、必ずしも彼の本質ではなかった」とみるのは、新しい伝記「吉田茂——尊皇の政治家」(岩波新書)を執筆した原彬久(よしひさ)・東京国際大教授だ。
人们都知道,吉田的轻武装经济中心路线顽强地抵抗了正重整军备的美国的进攻,并建立了战后日本繁荣的基础。“那种商人的政治观,其实不一定就是他的本质”,东京国际大教授原彬久先生执笔的《吉田茂——尊皇的政治家》的传记中,提到了这样一点。
原さんによれば、吉田を動かした原動力は、皇室への尊敬が社会秩序の基礎だという信念だった。少年時代の国粋主義教育に加えて、夫人を通して明治維新の元勲大久保利通(としみち)に連なる系譜は、彼の尊皇の念を一層強めた。
国粋主義:自国の歴史・政治・文化などが他国よりもすぐれているとして、それを守り発展させようとする主張・立場。
据原教授所言,吉田政治行为的原动力,是相信对皇室的尊敬才能形成社会秩序的基础。吉田在少年时代接受的是国粹主义教育,且通过他夫人与明治维新时的元勋大久保利通相连的家谱,进一步增强了他尊皇的观念。
「占領軍に協力したのも、マッカーサー元帥が日本の統治のために皇室存続を決断したからだ」と原さん。さらに吉田は、戦争責任から一時は退位すべきか迷っていた昭和天皇を思いとどまらせた。
原教授说,“他之所以协助占领军,是因为麦克阿瑟元帅为了统治日本而决定让皇室继续存在下去。”而且吉田打消了昭和天皇因战争责任而考虑是否应该暂时退位的想法。
天皇の権威を守るためだっただろうが、「天皇が自らの戦争責任を形にできなかった歴史的含蓄は重い」と原さんは言う。今日まで残る日本の過去の問題を考えると、吉田が落とした影もまた大きかった。
仅管吉田是为了守护天皇的权威,但“天皇没有认识到自身的战争责任,这一历史性的深层是沉重的”。原教授如是说。想想遗留至今的日本过去的问题,吉田造成的影响确实很深。
- 相关热词搜索: 每日阅读
- 上一篇:每日词汇(5.19):うまれつき(生まれつき)天生就具备,与生俱来
- 下一篇:每日语法(5.19):がたい
相关阅读
- 每日阅读(3.20):万里の長城03-29
- 每日阅读(3.21):和解03-29
- 每日阅读(3.22):梵帝冈...03-29
- 每日阅读(3.23):現代風の大厦高楼03-29
- 每日阅读(3.24):小泉首相はジャカルタで演説した03-29
- 每日阅读(3.25):血液型診断03-29