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每日阅读(5.07):比叡山の裔

时间:2008-05-07 09:56:31  来源:本站原创  作者:Echo

 

民主党の新代表に決まった前原誠司氏は、比叡山を東に仰ぐ京都市左京区で育った。卒業した市立修学院小学校のホームページを見ると、校歌は「み空に高き比叡の峰」を歌い、校舎から見た山影が紹介されている。

       民主党新代表前原诚司先生出生于东邻比睿山的京都市左京区。他毕业的京都市立修学院小学的主页上登载有歌咏“比睿山峰比天高”的校歌,并介绍了从校园内看到的山的模样。

 

 比叡山を織田信長が攻めたのは1571年旧暦9月中旬のことだ。僧兵の拠点、延暦寺を焼き払い、僧俗数千人を殺害したという。その比叡山を見て育ったであろう前原氏が最大野党の顔となったことに、信長好きの小泉首相は今どんな思いか。

僧兵:平安後期以降、興福寺・延暦寺・園城寺などの大寺で、武芸を練り、仏法守護の名目で戦闘に従事した僧。しばしば朝廷や幕府に強訴(ごうそ)し、戦乱にも参加したが、織田信長・豊臣秀吉により滅ぼされた。悪僧。

       1572年阴历9月中旬,织田信长攻占了比睿山。烧毁了僧兵的据点延历寺,并杀死僧俗数千人。看着比睿山长大的前原先生成为了最大在野党的代表,自称喜欢信长的小泉首相如今有何感受?

 

 今年ほど首相が信長を頻繁に語ったことはなかった。郵政改革を桶狭間の合戦にたとえ、閣僚には「明智光秀になるな」と念を押した。「私は信長のように非情だと言われるが、戦国武将たちに比べれば自民党の権力闘争なんか生っちょろい」と演説した。信長への思いは学生以来らしいが、このごろは言外に自己陶酔もちらつく。

桶狭間の合戦:永禄三年(一五六〇)、織田信長の領内桶狭間に陣取った今川義元を、信長が奇襲して破った戦い。信長の天下統一の第一歩となった。

生っちょろい:態度ややり方などに厳しさが足りない。あまっちょろい。「そんな―・いことではなめられるぞ」

       今年,小泉首相一直将信长挂在嘴边。把邮政改革比作桶狭间之战,并反复叮嘱阁僚“不要成为明智光秀”。他曾在演讲中说到“有人说我像信长一样冷情无情,但比起战国武将来,自民党的权力斗争只是小把戏。”小泉首相似乎从学生时代便开始崇仰信长,从其言外之意,能窥探到他的自我陶醉之情。

 

 最近の愛読書は『信長の棺』(日本経済新聞社)だ。「首相が解散を決めた一冊」などと大仰な宣伝がされているが、読んで著者の年齢に目がとまった。加藤廣氏75歳。これがデビュー作である。

デビュ:芸能界・スポーツ界・社交界、また、文壇・画壇などに初めて登場すること。初舞台。初登場

       最近喜欢上《信长之棺》(日本经济报社)这本书。媒体大肆宣传这是“决定首相解散国营邮政的一本书”。我读完后注意了一下其作者的年龄,加藤广先生,75岁。这本书是他在此领域的处女作。

 

 中小企業金融公庫や山一証券に勤務し、経営評論家として独立した。学生時代に作家を夢見たことはあったが、小説の筆をとったのは65歳からだ。

       加藤先生曾作为独立的经营评论家,在中小企业金融公库和山一证券公司工作过。他在学生时代就梦想成为一名作家,但真正提笔写小说时已是65岁高龄。

 

 信長が「余はこの国の無能者の掃除人になることに決めた」と語る場面がある。とりつかれたような変革志向に、加藤氏も首相との類似性を見る。政敵一掃を狙うかの観もある首相とどう渡り合うか、民主党を背負う新リーダー43歳の手腕が問われる。

渡り合う:1 相手になって戦う。「真剣で―・う」「格上のチームと互角に―・う」

2 言葉をやりとりして激しく議論する。論戦する。「議会で与野党が―・う」

       信长曾说过:“我决定成为本国无能者的扫除人”。从变革意向来看,加藤先生和首相也存在着一定的共通点。如何与这位意欲将政敌一扫全灭的首相抗衡,背负着民主党的43岁新领导人的能力受到极大的挑战。

 

 

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