每日阅读(5.24):新聞の事前検閲
第二次大戦後の占領期に実施された検閲には不可解な例がいくつもあった。「東北で疫病の恐れ」といった記事が削られる。馬追い祭りの写真も掲載できない。武者姿が復古的と見なされたようだが、恣意(しい)的である。新聞人は敗戦の悲哀をかみしめた。
第二次世界大战后的占领时期所实施的报刊审阅制度中,出现了一些让人不可理解的例子。《东北疫病的恐惧》之类的新闻被撤下,赶马节的照片也未登载上去。这种举动让人感觉有点像复古武士的恣意。报纸人深刻体会到了战败的悲哀。
新聞の事前検閲が本格化したのは60年前の10月だった。各紙が連合国軍総司令部(GHQ)に日々大量の原稿を持参し、掲載可か否か保留か判定を待った。新聞統制に腕をふるったのは元記者でGHQ情報課長のドン・ブラウン氏である。検閲行政を進めたほか、印刷用紙の割り当ても差配した。
差配:1 とりあつかうこと。世話をすること。また、指図すること。
2 手分けして事務をとりあつかうこと。
3 所有主の代わりに貸地・貸家などの管理をすること。また、その人。「―人」
60年前的10月,报纸发行前的审阅查工作开始正式化运作。各报社每天将大量的新闻原稿发给同盟国军总司令部,等待其判定是否可以登载上报。管制报纸检查的是GTO情报科长,原记者顿·布朗。除了审阅工作之外,还经管印刷纸张的分配。
ブラウン氏の足跡を紹介する企画展が30日まで横浜開港資料館で開かれている。彼が戦時中に手がけた対日宣伝ビラは巧妙だ。すし盛りのカラー写真や天皇の詠歌を載せ、日本兵を投降に誘う。占領終結後も日本にとどまり、80年に病没した。
ビラ:1 広告・宣伝のために、人目につく所に掲げるはり紙。ポスター。
2 広告・宣伝のために人に配る紙片。ちらし。「―をまく」
到本月30日止,横滨开港资料馆将开展介绍布朗业绩的企画展。战争时期,他亲自制作的对日宣传传单相当巧妙。上面登载了寿司的彩色照片和对天皇的颂歌,以此来劝诱日本军人投降。占领期结束后他仍留在了日本,80年因病去世。
ブラウン氏が米国で生まれた1905年、日本は対露戦争のさなかで軍部が検閲に力を入れていた。元TBS記者竹山恭二氏の『報道電報検閲秘史』(朝日選書)を読むと、特報の数々が軍や警察でなく、地方の郵便局で気まぐれに没とされ、削られていたことがわかる。
1905年,布朗出生于美国,当时日本在对俄战争中期也致力于过军队的检阅。原TBS记者竹山恭二先生的《报道电报检查秘史》(朝日选书)中写到,特报不是通过军队和警察之手,而是在地方邮电局就轻易地被削减删除。
当時の報道合戦は電報頼みだった。「○○少佐昨夜旅順ヘ出発ス」。陸軍の拠点だった香川・丸亀の郵便局から記者たちが本社へ送った大量の電報の行方を竹山氏は克明に調べた。歴史に埋もれた電報検閲に光をあて、今年の日本エッセイスト・クラブ賞に輝いた。
克明:細かいところまで念を入れて手落ちのないこと。また、そのさま。丹念。「―な記録」
当时的“报道之战”是通过电报来进行。“XX少佐昨天晚上出发去了旅顺”。竹山先生仔细调查了记者们从曾为陆军据点香川·丸龟邮政局向总社发送的大量电报的去向。被历史埋没的电报审阅终于在世人前曝光,他也获得了今年日本随笔俱乐部奖。
新聞に対する検閲は、明治の初めから占領期まで約80年間続いた。
对报纸的审阅,从明治初到占领期共持续了约80年时间。
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