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每日阅读(6.24):並外れて準備のいい年賀状

时间:2008-06-24 10:04:41  来源:本站原创  作者:Echo

切手の位置に子犬をあしらった、来年の年賀はがきの1枚を手に取る。裏返す。まだ真っ白な面に文字を書き入れ始めるのは、やはり今年も年末ぎりぎりか。

あしら・う〔あしらふ〕[動ワ五(ハ四)]《「あいしらう」の音変化》

1 応対する。応答する。「好みの違う客を巧みに―・う」

2 相手を軽んじた扱いをする。みくびって適当に応対する。「鼻で―・う」

3 素材や色などをうまく取り合わせる。配合する。「帽子に花を―・う」「松に梅を―・う」

       拿到一张明年的贺年卡,邮票的位置上设计了一只小狗图案。把它翻过来,开始在洁白的纸张上写贺年词,莫非今年已经到岁末时分了?

 

 作家の池波正太郎さんは、並外れて準備のいい年賀状について随筆を残している。「年が明けると間もなく、来年の年賀状の絵を描き、印刷屋へ出す」

       作家池波正太郎写过一篇关于贺年卡的随笔,准备做得异乎寻常的好。“刚过完年没多久,就开始着手画明年的贺年卡,并发给印刷店。”

 

 「いくらなんでも気が早すぎる」「セッカチだねえ」などの声も耳に入る。しかし、千枚を超える年賀状を年末に書いていたのでは、とても書ききれない(『作家の四季』講談社)。

       也听到有“怎么说也太早了”“真是性急”之类的评论。但是,岁末一次要写千余张贺年卡,实在心有余而力不足(《作家的四季》讲谈社)。

 

 夏から秋、そして師走にかけて、少しずつ宛名(あてな)を書いてゆく。これもまた、たのしみだという。「第一に字が下手だから、習字にもなるし、忘れかけていた人の名前を思い出して、おとろえかけた記憶力を再起させる役にもたつ」。今から20年前、池波さんが還暦を幾つか過ぎた頃の文である。

       从夏到秋,然后到腊月,每年季度都写一点贺年卡。据说这也是一种乐趣。“首先字写得不好看,写贺年卡的同时也在练字,同时要努力去想起记忆中模糊的人名,对恢复记忆力也起有作用。”这是20年前,池波先生写在六十几岁时的文章。

 

 今時分から師走にかけて、ぽつり、ぽつりと届くのが「喪中につき、年賀状は欠礼……」といった文面の便りだ。既にその訃報(ふほう)には接している場合も多いが、あの人の周りで今年そんなことがあったのかと知って、しんみりすることもある。

ぽつり:1 雨やしずくが一つ落ちるさま。ぽつん。「雨粒が―と顔に当たる」

2 点や穴などが一つだけできるさま。ぽつん。「虫に刺されて―と赤くなる」

3 それだけ孤立しているさま。ぽつん。「雲が一つ―と浮かんでいる」

4 一言だけつぶやくように言うさま。ぽつん。「―と感想をもらす」

5 物が途中で切れるさま。ぷつり。ぽつん。「ひもが―と切れる」

しんみり:[副](スル)

1 心静かに落ち着いているさま。しみじみ。「親子水入らずで―(と)語り合う」

2 もの寂しく、湿っぽい気分になるさま。「別れのあいさつに―(と)する」

       从现在到腊月时分,零星寄送出去的多是 “现在在服丧期间,请恕不能寄往贺年卡……”之类的来信。很多时候对方已经接到了讣告了,但当知道今年那个人周围居然发生如此不幸的事情时,难免会感觉有些落寞。

 

 毎年、あまりにも早く年賀状が刷り上がってくる池波さん宅では、こんなやりとりがあったという。「もしものことがあったら、どうしますか?」「かまわないから、その年のぶんは出してしまうがいい」「でも……」「みんな、たのしみにしてくれているのだから、そうするがいいよ」「わかりました」。池波さんが67歳で他界して、今年で15年になる。

       每年都早早印刷贺年卡的池波先生家中,据说曾有过这样一段对话。“万一有个三长两短的,该怎么办?”“没什么大不了的,今年要写的年贺卡都寄出去了就行。”“可是……”“大家都在期待着,这样做就行了。”“我知道了。”池波先生于67岁撒手人寰,据今已有15年了。

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