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每日阅读(6.27):暗殺

时间:2008-06-27 10:53:34  来源:本站原创  作者:Echo

東京駅の丸の内口と八重洲口を結ぶ中央通路に、直径5センチほどの丸い目印がある。多くの人が気づかないまま、通り過ぎるか踏みつけていく。

       东京车站丸之内与八重洲相连的中央通道上,有一个直径约5厘米的圆形标记。许多人都没注意到它,或匆匆从旁边通过,或随意踩着它走过。

 

 少し離れた柱に、「浜口首相遭難現場」という表示板がある。「昭和5年11月14日午前8時58分、内閣総理大臣浜口雄幸は、岡山県下の陸軍特別大演習参観のため……1等車に向ってプラットホームを歩いていた。このとき、一発の銃声がおこり浜口首相は腹部をおさえてうずくまった」

       离这不远的柱子上,立有一块“浜口首相遇难现场”的标牌。“昭和5年11月14日上午8点58分,内阁总理大臣浜口雄幸为参观冈山县陆军特别演习……为乘一等车而通过月台。此时,枪声骤响,滨口首相按住腹部蹲下身去。”

 

 東京駅によると、撃たれた場所は、いまの9・10番の東海道線ホームにあたる。ホームが改修を重ねたため、現場の目印は、ホームの真下の通路に移されたようだ。

    据东京站人员说,首相被袭击的场所,正是现在的9·10号东海道线月台。因为月台改建过好几次,现场的标记被转移到月台正下方的道路上了。

 

 浜口は財政を引き締めるとともに、軍縮と国際協調の外交を進めた。そこを右翼に襲われた。「うむ、殺(や)つたナ」と同時に「殺られるには少し早いナ」と思った浜口は、一命を取りとめる。そして、暗殺に限らず、殺人は「野蛮国若しくは未開国にあつては……幾分(いくぶん)か恕(じょ)すべき点があると思ふのであるが、法治国・文明国に於ては、絶対に容(ゆる)すべからざる重大なる犯罪である」と書いた(「随感録」)。

       浜口在缩减财政的同时,促进了军裁和国际协调外交。因此被右翼分子袭击。滨口想“恩,还是让人给做了”,同时又想到“让我死还嫌早了点”,命总算救回来了。之后,他写到,不仅仅是暗杀,杀人本身就是“野蛮国或是未开化的国家还情有可原,在我们这个法治国家与文明国家,是绝对不能宽恕的重大犯罪行为”。(《随感录》)

 

 容体が悪化し、翌年8月に死ぬ。それを待っていたかのように、満州事変が起こり、5・15事件、2・26事件と続く。テロと陰謀が渦巻き、およそ法治国・文明国とはいえなくなる。

    后来首相病情恶化,翌年8月撒手人寰。像是等着他去世一般,之后接连发生了满州事变,5·15事件,2·26事件。陷于恐怖活动和阴谋中的日本,大概已不能称其为法治国家与文明国家了吧。

 

 中央通路から、丸の内南口に回り、改札口を出る。そこにも小さな丸い目印がある。「平民宰相」といわれた原敬がここで刺殺された。浜口襲撃に先立つこと9年、そういえば、これも今ごろの季節だった。

       从中央通道走到丸之内南门拐弯,有一个售票口。那儿也有个圆形的小标记。滨口暗杀事件9年前,平民宰相”原敬就是在这被刺杀的。说起来,那时也正是如今的季节。

 

资料:

はら‐たかし【原敬】

[(一八五六~一九二一)]政治家。岩手の生まれ。外務省退官後、大阪毎日新聞社社長に就任。立憲政友会創立に参画し、逓相・内相を歴任後、総裁に就任。大正七年(一九一八)平民宰相として初の政党内閣を組織し、交通の整備、教育の拡張など積極政策を行った。東京駅頭で刺殺された。

 

はまぐち‐おさち〔‐をさち〕【浜口雄幸】

[(一八七〇~一九三一)] 政治家。高知の生まれ。蔵相・内相を歴任後、立憲民政党総裁として昭和四年(一九二九)首相に就任。財政緊縮・金解禁を断行、協調外交を推進し、ロンドン海軍軍縮条約に調印。東京駅で右翼青年に狙撃され、翌年死亡。

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