每日阅读(7.24):赤い十字のマーク
ところ変わればマークも変わる。日本ではなじみの深い赤十字のマークは、イスラム教圏では赤くて細い月の「赤新月」になる。
随着地方不同,某些标志的形状也会有所改变。日本国内人们所熟悉的深色红十字架标志,在信奉伊斯兰教的地区则是用红色细月形状的“红新月”来表示。
十字の形が、キリスト教を連想させるからだ。この二つに加えて、赤いひし形を第3のマークとして認めることがジュネーブの国際会議で決まった。
这是因为十字形容易让人联想到基督教。加上以上这两个标志,日内瓦国际会议上决定了认同红色菱形作为第三个标志。
赤い十字のマークは、創立者アンリ・デュナンの祖国で、赤十字の創設に寄与したスイスに敬意を表し、国旗の配色を逆にして定められた。マークには宗教的意味合いは含まれていないというが、かつては日本でも赤い十字を避けた時期があった。
为了向创立者亨利·杜南的祖国——为红十字的创立做出极大贡献的瑞士表示敬意,红十字标志采用的颜色正好与瑞士国旗相反。标志中并没有什么宗教性含义,但日本也曾有过一段时期避开使用红十字。
日本赤十字社の前身の「博愛社」は1877年、明治10年に設立された。西南戦争での両軍の負傷者の救援がきっかけだった。キリスト教の布教のための活動ではないかという誤解を避けるため、日の丸の下に横一文字を書いたマークの旗が掲げられた(桝居孝『世界と日本の赤十字』タイムス)。
せいなん‐せんそう〔‐センサウ〕【西南戦争】
明治一〇年(一八七七)、西郷隆盛らが鹿児島で起こした反乱。征韓論に敗れて帰郷した西郷が、士族組織として私学校を結成。政府との対立がしだいに高まり、ついに私学校生徒らが西郷を擁して挙兵、熊本鎮台を包囲したが、政府軍に鎮圧され、西郷は郷里の城山で自刃した。明治維新政府に対する不平士族の最後の反乱。西南の役。
日本红十字的前身“博爱社”以西南战争中救援两军负伤者为契机,成立于1877年,即明治10年。为避免有人误解成基督教的传教活动,当时所悬挂的旗帜上的图案是在太阳旗下添加一根横线。(桝居孝《世界与日本的红十字》时代社)
新しいマークは、これまで赤十字と赤新月のどちらもの使用を拒んできたイスラエルの「ダビデの赤盾社」が、赤十字運動へ加盟する道を開くという。赤いひし形の中に、各国の組織が独自のマークを入れることが可能で、赤盾社が認めるように要求してきた「ダビデの星」を中に組み込むことができる。
据说新标志将为至今一直拒绝使用红十字或是红新月的以色列“红色大卫盾”拓开一条加盟红十字运动的道路。各国组织可将自己的标志加入红色菱形中,为了使红大卫盾组织认可,也可以在标志中加入“大卫之星”。
イスラエルについては、イランの大統領が、「地図から消されるべきだ」「ドイツなどに移せばよい」などと述べて波紋を呼んでいる。対立の根は深い。しかし、使うマークは違っていても、赤十字運動という場を共にすることは決して無益ではないはずだ。
就以色列这一国家,伊朗总统呼吁道,“应该让它从地图上消失!”“划分到德国就好了。”造成了很大的影响。两国对峙的渊源相当深。然而,即使使用不同的标志,人们共同参与红十字运动也绝非毫无益处的。
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